改訂新版 世界大百科事典
「シドニウスアポリナリス」の意味・わかりやすい解説
シドニウス・アポリナリス
Gaius Sollius Apollinaris Sidonius
生没年:430ころ-480から490
古代末期ガリアのローマ貴族。リヨンの名家に生まれ,オーベルニュの名門貴族アウィトゥスの娘と結婚。455年西帝に推されローマに赴く岳父に同行し,翌年元日に頌詩を献呈。同456年アウィトゥス帝が失脚・死去すると,ガリア貴族層の中に謀反の動きが生じるが,彼はこれに参加せず自重したと思われ,458年リヨンで新帝マヨリアヌスに頌詩を献じ,同帝の下で官職に就いた。同帝の死(461)後は在野生活に甘んじていたが,467年アンテミウスが登位するとオーベルニュの陳情を託されてローマに赴き,同帝に頌詩を献じてローマ都督に任じられた(468)。帰郷後,470年ころクレルモン・フェランの司教に選ばれ,471-475年同市の対西ゴート抵抗戦の精神的指導者となる。475年帝国政府による西ゴートへのオーベルニュ割譲後は一時西ゴートに幽閉されるが,やがて司教復位を許され,晩年は司教としての務めと文学活動に専心した。著作としては3頌詩を含む詩歌集と書簡集9巻が残っており,文学的には修辞過多や気取りゆえにあまり高く評価されないが,古代末期のガリア貴族社会を知るうえで貴重な史料である。これらの作品からはまた,彼のガリアへの郷土愛,それにも勝るローマ的教養への誇りとその母体たる帝国への忠心,反ゲルマン感情,さらに475年以降ゲルマン支配のただ中でローマ的なるものへの誇りと愛着をいっそう強めていくさまがうかがえる。
執筆者:後藤 篤子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
シドニウス・アポリナリス
しどにうすあぽりなりす
Gaius Sollius Apollinaris Sidonius
(430ころ―486ころ)
ローマ帝政末期のガリア貴族。リヨンの名門の出。455年西帝位に推された岳父アウィトゥスAvitus(在位455~456)に随行して、ローマで頌詩(しょうし)を献呈。岳父の失脚(456)後、ガリア貴族内に生じた反乱の動きには直接加担せず、458年リヨンで新帝マヨリアヌスMajorianus(在位457~461)に頌詩を献呈した。同帝死後は、在野生活に甘んじていたが、467年アンテミウスAnthemius(在位467~472)が登位すると、郷里の陳情を携えてローマに赴き、頌詩を献じてローマ都督に任じられた(468)。470年ごろクレルモン・フェランの司教となり、同市の対西ゴート抵抗戦(471~475)を精神的に指導した。その後、西ゴートに一時幽閉されたが、やがて司教復位を許され、晩年は文学活動と教会活動に専心。詩歌集と書簡集9巻を残しており、文学的評価はかならずしも高くはないが、同時代史料として貴重である。
[後藤篤子]
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世界大百科事典(旧版)内のシドニウスアポリナリスの言及
【ラテン文学】より
…世俗詩人も6世紀中葉のコリップスCorippusあたりが最後であろう。 5世紀後半から6世紀にかけてのキリスト教作家には,シンマクスの後継者といえるほどの技巧派の修辞家シドニウス・アポリナリス,キリスト教と世俗の両方のテーマを歌った詩人ドラコンティウスDracontius,古典の教養を顕示した演説家エンノディウスEnnodius,最後の詩人ウェナンティウス・フォルトゥナトゥスVenantius Fortunatus,《フランク史》の著者トゥールのグレゴリウス,教皇グレゴリウス1世などがいる。カッシオドルスは古典研究を神学研究に取り入れて,中世修道院を学問所とする道を開いた。…
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