シパーヒーの反乱(英語表記)Mutiny, Rebellion of 1857

山川 世界史小辞典 改訂新版 「シパーヒーの反乱」の解説

シパーヒーの反乱(シパーヒーのはんらん)
Mutiny, Rebellion of 1857

1857年にインドで勃発した反英大反乱セポイの乱,インド大反乱等さまざまな呼び方をされる。シパーヒーとはインド兵の意味である。しかし,闘いに加わったのは兵士だけではなく,インドの幅広い階層が連帯してイギリスの植民地支配を打倒するために闘った。多面的な性格を持つが,イギリス支配によって混乱させられた旧体制を回復しようとする復古主義的な運動だったと考えられる。57年5月10日,デリー北東の町メーラトに駐屯していたシパーヒーが,新しく導入されたライフル銃に用いる薬包に牛と豚の油脂が塗られているとして反乱を起こした。彼らはただちにデリーに向かい,ムガル皇帝バハードゥル・シャー2世を推戴しデリー政権を発足させた。これが狼煙(のろし)となって,イギリス支配に不満を持っていたシパーヒー,旧支配層,農民,都市民が蜂起。反乱側は最盛期には北インドの大部分デカンの一部を支配した。しかしイギリスは57年9月にデリーを奪還,58年6月には反乱側の最後の拠点グワーリヤルを落として,反乱を鎮圧した。58年,イギリスは東インド会社を通じたインド統治を廃し,直接統治を始めた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シパーヒーの反乱」の解説

シパーヒーの反乱
シパーヒーのはんらん

インド大反乱

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世界大百科事典(旧版)内のシパーヒーの反乱の言及

【インド大反乱】より

…インド亜大陸においてイギリス支配に反抗して1857‐59年におこった反乱。この反乱を最初に引き起こしたのがイギリス東インド会社の傭兵(シパーヒー)であったため,シパーヒーの反乱,また日本ではセポイの反乱と呼ばれてきた。しかし20世紀初めのインド民族運動の中からこの反乱がシパーヒーのみに担われたものでなく,全民族的な抵抗の第一歩であるとする見方が生まれ,現在のインド,パキスタンの歴史の見方にほぼ継承されている。…

※「シパーヒーの反乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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