インド北部,ウッタル・プラデーシュ州西端にある同名県の県都。首都デリーの北東約60km,ガンガー(ガンジス)・ヤムナー・ドアーブ(河間平野)の中央部に位置する軍事拠点。人口106万8772(2001)。古来,肥沃な農業地域の中心として,アショーカ王時代に町が興ったとされる。西にヤムナー川を隔ててパンジャーブ平原および戦略上の要地デリーをにらみ,東はガンガー川を境に大平原を,北にヒマラヤ山脈をにらむ要衝の地として,1806年,東インド会社は,北西インド最大の駐屯地を設けた。この兵舎から57年の第1回反英独立戦争(インド大反乱,セポイの反乱)の最初の火の手が上がった。今日なお,インド軍の北西インド最大級の駐屯地(カントンメント)をもつ。独立後,首都圏の工業開発都市の一つとして発展がめざましく,近郊には大規模な自動車タイヤ工場が立地する。
執筆者:中山 修一
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インドの首都ニューデリーの北東約60kmにある小都市。19世紀の初め以来,東インド会社軍の駐屯地として発達した。1857年5月10日,この町のインド兵が反乱を起こし,翌11日デリーに達して,ムガル皇帝を推戴してデリー政権を発足させた。これがシパーヒーの反乱の始まりである。また1929年には,労働運動を弾圧したメーラト事件が起こっている。
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