メーラト(その他表記)Meerut

デジタル大辞泉 「メーラト」の意味・読み・例文・類語

メーラト(Meerut)

インド北部ウッタルプラデシュ州都市デリーの北東約60キロメートルに位置する。鉄道交通の要地。食品工業化学工業が盛ん。19世紀初頭に英国軍の拠点の一つとなり、現在は北郊にインド軍の駐屯地がある。インド大反乱発端の地として知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「メーラト」の意味・わかりやすい解説

メーラト
Meerut

インド北部,ウッタル・プラデーシュ州西端にある同名県の県都。首都デリーの北東約60km,ガンガー(ガンジス)・ヤムナー・ドアーブ(河間平野)の中央部に位置する軍事拠点。人口106万8772(2001)。古来肥沃な農業地域の中心として,アショーカ王時代に町が興ったとされる。西にヤムナー川を隔ててパンジャーブ平原および戦略上の要地デリーをにらみ,東はガンガー川を境に大平原を,北にヒマラヤ山脈をにらむ要衝の地として,1806年,東インド会社は,北西インド最大の駐屯地を設けた。この兵舎から57年の第1回反英独立戦争(インド大反乱セポイの反乱)の最初の火の手が上がった。今日なお,インド軍の北西インド最大級の駐屯地(カントンメント)をもつ。独立後,首都圏の工業開発都市の一つとして発展がめざましく,近郊には大規模な自動車タイヤ工場が立地する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーラト」の意味・わかりやすい解説

メーラト
めーらと
Meerut

インド北部、ウッタル・プラデシュ州西部の都市。ミーラトとも表記する。人口107万4229、周辺部を含む人口116万7399(2001)。デリーの北東約60キロメートルに位置する。鉄道の要地で、食品、メリヤス、化学などの工業があり、農産物の集散地となっている。19世紀の初め、イギリスが軍の駐屯地としたことから発達した。とくに19世紀なかばの数年間の発展は目覚ましく、その間に人口が約3倍に急増した。「セポイの反乱」は、そのころこの地を発端として起こったものである。いまも市の北部にインド軍の広大な駐屯地がある。

[中山晴美]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「メーラト」の解説

メーラト
Meerut

インドの首都ニューデリーの北東約60kmにある小都市。19世紀の初め以来,東インド会社軍の駐屯地として発達した。1857年5月10日,この町のインド兵が反乱を起こし,翌11日デリーに達して,ムガル皇帝を推戴してデリー政権を発足させた。これがシパーヒーの反乱の始まりである。また1929年には,労働運動を弾圧したメーラト事件が起こっている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーラト」の意味・わかりやすい解説

メーラト
Meerut

インド北部,ウッタルプラデーシュ州西部の工業,軍事都市。メーラト県の行政庁所在地。デリー北東約 60kmに位置。 1806年イギリスが兵営を設置してから軍事都市として発展。 57年5月 10日インド大反乱の発火点となった。現在も大規模な軍団が駐屯し,インド北西部の重要な軍都。工業も盛んで,綿織物,化学,製糖,製粉,搾油,塗料などの大工場のほか,多数の農産物加工工場がある。人口 75万 2078 (1991) 。

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百科事典マイペディア 「メーラト」の意味・わかりやすい解説

メーラト

インド北部,デリーの北東約65kmにあるウッタル・プラデーシュ州の都市。小麦,米,サトウキビ,油料作物など農産物の集散地。製粉,製糖,搾油業が行われる。アショーカ王時代からの古都で,1192年イスラム教徒に征服された。1857年インド大反乱の発端の地。142万1000人(2011)。

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