日本歴史地名大系 「シャマニ山道」の解説
シャマニ山道
しやまにさんどう
シャマニ場所から東方のホロイツミ場所へ向かう道のうち、ブユガシュマ(冬島)の東方、ヲソフケウシ(現オシクシ)から内陸部に入り、アポイ岳南裾の山中を上り下りし、その間コトニの休所を経てホロマンベツ(現幌満川)に至った山道。様似山道・様似新道ともいった。山道が開かれる以前は海沿いの道を行ったが、ブユガシュマ―ホロマンベツ間の海岸部は海食崖が発達し(現在は日高耶馬渓とよばれる)、この道はテレケウシ、チコシキルとよばれた大難所をはじめ、波が打寄せる岩場を伝う危険な道であった。一七九八年(寛政一〇年)に蝦夷地巡察のために派遣された幕府使番で蝦夷地取締御用掛大河内政寿が翌九九年にシャマニに駐留して指揮、配下の中村小市郎らに担当させて同年五月から普請にかかっている。このとき併せてサルル山道が開かれ、また一七九八年一〇月には近藤重蔵がルベシベツ山道を開削している。これらの山道(新道)の完成により、箱館からクスリ(釧路)までの馬による通行が可能になった(以上「休明光記」、木村「蝦夷日記」、「様似町史」など)。
開削前の様子について「蝦夷巡覧筆記」はブユガシュマの項で「此辺高山浜ヨリ切立険岨也、浜至テセバク浪高キ節ハ道行ナラス、山道モナシ」と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報