シャリ場所(読み)しやりばしよ

日本歴史地名大系 「シャリ場所」の解説

シャリ場所
しやりばしよ

斜里しやり川河口域を中心に現斜里郡北東端知床しれとこ岬から現網走市能取のとろ岬までの範囲に設定された場所。一七九〇年(寛政二年)五月、ソウヤ場所から分離して新たにシャリ場所が設けられ、松前藩の直轄とされた(網走市史)。天保郷帳には「シヤリ持場之内、ノトロ、バイラケ、モヨロレブンシリ、シヽヨイビラ、ヲン子ナヱ、アバシリ、ヲシヨフ、ヱチヤヌヱ、ニグリバケ、モコトナヨロ、ケシ子ヱ、トウブツ、アヲシマナヱ、フレトヱ、ウバシクシ、ヤンベツ、ルベツチヤヲシマ、シヤリ」が記される。西蝦夷地の東端に位置し、西はノトロ(現能取岬)モンベツ場所と、東は東西蝦夷地の境であるシレトコ(現知床岬)ネモロ場所と接する。南のクスリ場所との境は「シャリ領ワツカウイより山え上り、ルウチシと申峠を以て境に相定め候」と斜里岳から藻琴もこと山に続く稜線に設定されていたが、サケ漁を目的にクスリ場所内の西別にしべつ川上流域へのシャリアイヌの越境がたびたび起こった。そこで一八〇七年(文化四年)、ショロロ(現白糠町)からニクリバケ(現網走市)に至る新道(アバシリ越新道)が開削されたのち、ケネカワッカウイ(現中標津町)境杭が打たれたという(場所境調書)。同所はシャリとクスリの境で、かつ東西の蝦夷地の境でもあった(「協和私役」安政三年八月一四日条)

開設当時の当場所の産物や様子は、近藤重蔵本「西蝦夷地分間」には「社里持場ノトロよりシレトコ迄(中略)乙名マウタランケ・チヨウサマ(中略)七千束鱒 二百樽魚油 千五百反厚子 百束柏 九十束椎茸 軽物 鷲羽 熊胆 熊皮」、「蝦夷巡覧筆記」に「シヤリ 当所運上屋有リ産物鱒魚油鯡鱈鷲尾蝶鮫熊胆皮アサラシ水ヨシ」などと記され、一八五〇年代にはこれらに加え、鮭やカスベホッケ海鼠・蚫・サヽメ昆布なども加わった(「蝦夷日誌」二編)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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