改訂新版 世界大百科事典 「シュトラスブルクの盟約」の意味・わかりやすい解説
シュトラスブルクの盟約 (シュトラスブルクのめいやく)
840年のルートウィヒ1世の死後,その長子のロタール1世は皇帝位と同時にフランク王国全体に対する最高権を主張して,弟のルートウィヒ2世にはバイエルン1国に甘んずることを,また末弟のカール2世には相続領をアキテーヌ1国に縮小することを強要した。そのうえ彼は,恩貸地の大盤振舞によって,弟たちの家臣の多くを,自分の家臣に加えることに成功した。このような兄の侵略政策に対抗して弟2人は結束し,841年6月25日のフォントノア・アン・ピュイゼFontenoy-en-Puisayeでの勝利の後,842年2月14日シュトラスブルクで防衛条約を結ぶ。この際弟2人は,それぞれの盟友の家臣たちが理解しえた方言,すなわちルートウィヒ2世はロマンス語(オイル語)で,またカール2世はチュートン語(古ドイツ語)で誓った。この宣誓の原文は9世紀の年代記作者ニタルドスを通して今日に伝えられているが,ルートウィヒ2世の宣誓は現存する最古のロマンス語文献として,言語学者の研究に大きな影響を与えている。
執筆者:下野 義朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報