日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュレージエン織工一揆」の意味・わかりやすい解説
シュレージエン織工一揆
しゅれーじえんしょっこういっき
1844年、プロイセン王国のシュレージエン州で起こった織工の大規模な暴動。同州では、伝統的に農村家内工業として麻織物業が封建領主と問屋の支配下で営まれていたが、1830、40年代にはイギリスから廉価な繊維製品が流入し、国内でも機械制生産が発達して、これらとの競争のために、問屋は織工に支払う工賃を生活維持水準以下の極限まで切り下げ、加えて領主も営業税を徴収したため、多くの織工が飢餓線上をさまよう窮境に陥った。その結果、44年6月、工賃に対する不満を契機にしてペータースワルダウとランゲンビーラウの織工たち約3000人が蜂起(ほうき)し、工場や問屋の邸宅を襲撃し、機械を破壊したり帳簿を焼き払った。これは、軍隊の出動によりようやく鎮圧されたが、ドイツ最初の労働者蜂起として多大の反響をよび、政府やブルジョアジーは社会福祉事業の必要性を痛感して労働者福祉協会設立に着手。他方、文筆家は織工の窮状と蜂起を描く詩や評論を数多く発表した。G・ハウプトマンの戯曲『織工(おりこう)』もこの一揆を主題としている。
[末川 清]