ドイツの劇作家。11月15日、シュレージエン(現ポーランド領シロンスク)のオーバーザルツブルンに生まれる。兄のカール・ハウプトマンCarl Hauptmann(1858―1921)も作家。ブレスラウ(ブロツワフ)の美術学校やイエナ大学に学び、イタリアを旅したのちベルリン郊外に住み、自然主義文学運動に参加、1889年、ブラームの自由劇場で初演された『日の出前』によって一躍自然主義の代表的作家となった。環境や遺伝の要因を重視し、退廃したブルジョア家庭を描く『平和祭』(1890)、因襲を逃れられぬ知識人を描いた『寂しき人々』(1891)、芸術家を扱う喜劇『同僚クランプトン』(1892)などを次々と発表したが、『織工(おりこ)』(1892)は、悲惨な貧民の暴動を同情をもって描いた最初の社会環境劇である。初演のころは不評だった喜劇『ビーバーの外套(がいとう)』(1893、続編『放火』)は現代でも生命を保っている。『ハンネレの昇天』(1893)は、自然主義とは違った象徴的、ロマン的要素が先取りされているが、メルヘン的な『沈鐘』(1896)以後は、『そしてピッパは踊る』(1906)など一連の象徴的作品が書かれている。『沈鐘』を境に作風が一変したわけではない。『沈鐘』と同じころ、自然主義的な『運送屋ヘンシェル』――自然主義小説『踏切番ティール』(1888)と骨子は同じ――やドイツ史劇『フローリアン・ガイアー』が書かれている。日本で好まれる象徴劇よりも、環境描写のなかに的確な時代相をとらえた写実的な作品、芸術家劇『ミヒアエル・クラーマー』(1900)、嬰児(えいじ)殺しの『ローゼ・ベルント』(1903)、ベルリンの悲喜劇『ねずみ』(1911)などが、現在の評価は高い。
1907年ギリシアに旅し、古代のなかに残酷で異教的な要素を発見したハウプトマンは、紀行文『ギリシアの春』(1908)や戯曲『オデュソイスの弓』(1914)を書いている。小説『キリスト狂エマヌエル・クイント』(1910)や『ゾアーナの異教徒』(1918)には、この作者独自の宗教観やエロス観が現れる。12年にノーベル文学賞を受賞、しだいに大作家の風貌(ふうぼう)を帯び、古典的な韻文作品を書くようになる。『冬物語』(1917)、スペインの南米征服をテーマにした『インディポーディ』(1922)、『白き救世主』(1920)、叙事詩『ティル・オイレンシュピーゲル』などである。しかし第一次世界大戦後の世相を背景にした『ヘルベルト・エンゲルマン』(1926)や、老いらくの恋を扱う『日没前』(1932)では、写実的、心理的な作風に戻っている。告白小説『情熱の書』(1930)は、2人の女性に挟まれて悩む男性という彼好みのテーマの個人的体験を裏づける(1885年、豪商の娘マリーと結婚、マルガレーテとの恋愛事件は夫婦間の危機をもたらし、1904年マリーと離婚、マルガレーテと正式に結婚した)。政権を獲得したナチスに老大家として利用された彼は、ドイツの破滅を身をもって体験することになる。第二次世界大戦中に執筆された大作『アトレウス四部作』(1941~48)は、ギリシア世界に託してドイツの破局と、ヒューマンな世界の崩壊が描かれている。戦後の鎮魂曲である一幕劇『闇(やみ)』を残し、ソ連軍占領下のアグネーテンドルフで、1946年6月6日に没した。
あらゆるジャンルにおいて、さまざまな様式の多くの作品を残したハウプトマンは、初期には自然科学的な決定論、のちには宿命的な運命論に傾くようになったが、結局は運命に滅ぼされてゆく人間の苦悩を同情をもって描いた詩人であり、したがって社会批判には限界があった。戯曲で演目に残っているのは、リアルな環境描写において技巧的に完成度の高い作品である。
[岩淵達治]
『成瀬無極訳『寂しき人々』(新潮文庫)』▽『橋本忠夫訳『喜劇 獺の外套』(岩波文庫)』▽『小栗浩訳『ハンネレの昇天』(1954・河出書房)』▽『登張正實訳『ゾアーナの異教徒』(1954・河出書房)』▽『横溝政八郎著『ゲルハルト・ハウプトマン』(1976・郁文堂)』
アメリカの生物物理学者。ニューヨークに生まれる。ニューヨーク市立大学、ついでコロンビア大学大学院で数学を学び、1939年修士号を取得した。卒業後、人口調査局で統計官を短期間務め、のち陸軍航空隊で電子関係の指導官を務めた。1947年ワシントンDCの海軍研究所に研究員として所属するかたわら、1955年にメリーランド大学で博士号を取得した。1970年バッファロー医学財団(現、ハウプトマン・ウッドワード医学研究所)に移り、研究を続けた。また1970年からはニューヨーク州立大学の生物物理学教授を兼任した。
ハウプトマンは海軍研究所時代にカールとともに、X線を用いて物質の結晶構造を決定するための共同研究を行った。調査試料にX線を照射して、その回折像を解析して結晶構造を決定する方法は従来から利用されていたが、解析は非常に面倒で時間がかかるものであった。彼らは、解析法に改良を重ね、数学的手法を駆使し統計学的に処理することにより、短期間で三次元構造を決定できる方法(カール‐ハウプトマンの方法または直接法とよばれる)を開発した。発表当時、その実用性が疑問視されたが、その後コンピュータが解析計算に活用されるようになり、この方法が広く普及するようになった。この業績により、1985年にカールとともにノーベル化学賞を受賞した。
[編集部]
『安岡則武著『これならわかるX線結晶解析』(2000・化学同人)』
ドイツの劇作家,小説家。シュレジエンのオーバーザルツブルン(現,ポーランド領)に生まれ,実業学校,農業見習,美術学校をへて,イェーナ大学で自然科学,哲学,歴史を修めた。ベルリンで自然主義文学運動に接触,当時流行のH.イプセンや,A.ホルツ,J.シュラーフの〈徹底自然主義〉の影響が濃い戯曲《日の出前》(1889)を発表してセンセーションを興す。その後《平和祭》(1890),《寂しき人びと》(1891),代表作《はた織りたち》(1892)や喜劇《海狸の外套》(1893)を著し,ドイツ自然主義の中心的人物となる。しかし,対象の内的本質を典型にまで高めて表現することに芸術の目標を置く彼は,つづく自然主義戯曲の傑作《馭者ヘンシェル》(1898)や《ローゼ・ベルント》(1903)に並行して,現実を外面から描くだけでなく内面的真実をも追究した《ハンネレの昇天》(1893),《沈んだ鐘》(1896),《そしてピッパは踊る》(1906)といった新ロマン主義的傾向の戯曲をも書き,ほかにも60年近い彼の創作期間に,素材,雰囲気,形式のうえで多様な作品群を残す。変動する時代のなかで同時代の人間と共苦共感する彼の主題は多種多様で,市民的家族関係の崩壊,既成モラルの悪用,救いのない悲惨,疎外,人道性の危機にわたっている。1888年に自然主義小説《踏切番ティール》を書き上げた彼は,主として第1次大戦前後を小説家として送り,長編《キリスト狂エマヌエル・クビント》(1910)や《ソアーナの異教徒》(1918)などを発表,ワイマール共和国時代には再び《ドロテア・アンゲルマン》(1926)や《日没前》(1932)のような自然主義的戯曲をも創作する。第2次大戦中はドイツ国内にとどまって一部反ナチ主義者のひんしゅくを買ったが,戦後,第2次大戦の残虐行為をギリシア古代の残虐に重ねあわせた力作《アトレウス一族・四部作》(1940-45)を発表し,作家的良心を貫いている。1912年にノーベル文学賞を受賞。
執筆者:越部 暹
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アメリカの結晶学者.ニューヨーク市立大学を卒業し,1939年コロンビア大学で数学の修士,第二次世界大戦後の1947年からワシントンの海軍研究所に入所し,その間に1955年メリーランド大学で数学の学位を取得.1970年Medical Foundation of Buffalo(現Hauptman-Woodward Institute)の結晶学グループに移り,1986年所長となり現在に至る.1953年のJ. Karle(カール)とともにX線結晶構造解析の直接法の数学的基礎を共著論文で確立し,その業績で,1985年Karleとともにノーベル化学賞を受賞した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
1862~1946
ドイツの劇作家。イプセンの影響を受け『日の出前』『織工』などで自然主義作家として不動の地位を占めた。やがて新ロマン主義的・象徴的方向へ移り(『沈鐘』),のちには逃避的傾向すら示した。
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…作品の原型となったラテン語の文献があったともいわれるが確かめられてはいない。1902年にG.ハウプトマンはこの作品を戯曲化した。【古賀 允洋】。…
…また真実の赤裸々な追求を自然科学的な方法によって求める自然主義の運動が,1889年,O.ブラームの自由舞台(自由劇場)の試みによって始まった。そのなかで登場したG.ハウプトマンは,一方で新ロマン主義的な傾向も示すようになる。ウィーンでは近代劇の運動が,心理的・象徴的・印象主義的な傾向をとり,A.シュニッツラーやH.vonホフマンスタールの劇作を生み出した。…
※「ハウプトマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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