シーニアー
Nassau William Senior
生没年:1790-1864
イギリスの経済学者。イートンおよびオックスフォード大学に学び,1819年弁護士資格を得た。25-30年オックスフォード大学ドラモンド経済学講座の初代教授を務め,47-52年ふたたび同じ地位につく。1836年に主著《経済学概論》を著し,リカード理論の修正,展開をはかった。これは厳密な演繹的方法で書かれた古典派経済学の代表的書物の一つで,とりわけ利潤についての節欲説abstinence theoryは有名である。すなわち,利潤の源泉を資本家が消費を節欲して手持ち資金を資本に投ずることへの報酬とみなし,独立した生産要素としての資本と利潤の結びつきを明確にした。また救貧法委員(1832),工場法委員(1837),アイルランド救貧法委員(1841),教育委員(1857)等を歴任して社会問題に関与したが,とくに1834年の救貧法改正に際してはきわめて重要な役割を果たした。
執筆者:佐伯 啓思
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シーニアー
Senior, Nassau William
[生]1790.9.26. バークシャー
[没]1864.6.4. ケンジントン
イギリスの経済学者。オックスフォード大学に学び,1825~30年同大学に創設されたドラモンド経済学講座の初代教授。 32年救貧法委員会,37年工場改善委員会,41年手織工委員会などの委員を歴任し,47~52年再度母校の経済学部教授。また 23年以来ポリティカル・エコノミー・クラブの活動的なメンバーの一人となる。理論的には抽象的演繹的方法に従っているという点で D.リカードを継承するが,価値論や利潤論ではリカード批判者となる。なかでも彼は,享楽の延期という制欲に対する報酬が利潤であるとする利潤制欲説で知られる。この考え方は,J.S.ミル,さらには A.マーシャルなどにも受継がれている。また晩年にいたるまでさまざまな委員をつとめたため,実際の政策にも大きな影響を与えた。主著『経済学概要』 An Outline of the Science of Political Economy (1836) ,"Four Introductory Lectures on Political Economy" (52) など著書多数。
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シーニアー
英国の経済学者。オックスフォード大学教授のかたわら,救貧法委員会の委員などを務めた。主著《経済学概論》(1836年)で,利潤は資本家が欲望を自制して貨幣を生産的に使用することへの報酬だと唱えた(節欲説)。また利潤・利子は労働日の最終1時間に生じる(最終1時間説)として,工場法による労働時間制限に反対した。
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シーニアー
生年月日:1790年9月26日
イギリスの経済学者
1864年没
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世界大百科事典(旧版)内のシーニアーの言及
【古典派経済学】より
…古典派経済学(略して古典派あるいは古典学派ともいう)とは一般に,18世紀の最後の四半世紀から19世紀の前半にかけイギリスで隆盛をみる,アダム・[スミス],[リカード],[マルサス],[J.S.ミル]を主たる担い手とする経済学の流れをさしている。D.ヒュームらアダム・スミスの先行者や19世紀のJ.ミル,J.R.マカロック,R.トレンズ,ド・クインシー,S.ベーリー,N.W.シーニアー,S.M.ロングフィールドらをどう扱うか,またJ.S.ミルに後続するフォーセットHenry Fawcett(1833‐84)やケアンズJohn Elliot Cairnes(1823‐75),フランスのセーやシスモンディをどう扱うかについて,多少考え方の相違があるが,おおむねこれらの人たちも含まれる。ただし,もっぱら古典派と新古典派([新古典派経済学])の区別だけを設ける立場からは,マルクスも古典派に含められ,セーの法則を採用する者を古典派とみなすケインズは,ケインズ以前のピグーらも古典派に入れている。…
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