ジェロニモデジェズス(その他表記)Jerónimo de Jesús

改訂新版 世界大百科事典 「ジェロニモデジェズス」の意味・わかりやすい解説

ジェロニモ・デ・ジェズス
Jerónimo de Jesús
生没年:?-1601

スペイン語読みではヘロニモ・デ・ヘススという。ポルトガル人だがスペイン世界で活躍したフランシスコ会士。1594年(文禄3)来日し,長崎京都布教二十六聖人殉教事件のさいマニラに追放された。98年(慶長3)再来日して潜伏豊臣秀吉死後フィリピンメキシコとの貿易を望む徳川家康と会い,交渉の仲介役をつとめた。99年5月江戸に〈ロザリオ聖母教会を建て,キリスト教関東開教のきっかけを作った。1600年家康使節としてマニラに渡り,翌年日本に戻り,家康に謁見後,同年10月没した。在日フランシスコ会再建のために功があった。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ジェロニモデジェズス」の解説

ジェロニモ=デ=ジェズス Jerónimo de Jesús de Castro

?-1601 ポルトガルの宣教師
フランシスコ会士。文禄(ぶんろく)3年(1594)平戸に上陸し,長崎,京都で布教。二十六聖人殉教の際マニラに追放されるが,慶長3年再来日。徳川家康の許可をえて江戸に教会をたて,家康の使節としてマニラにわたり貿易交渉にあたった。慶長6年9月11日京都で死去。リスボン出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のジェロニモデジェズスの言及

【ゴメス】より

…1594年フィリピンに到着。98年(慶長3)二十六聖人殉教事件後の日本へジェロニモ・デ・ジェズスとともに初めて来たが,数ヵ月の後に逮捕され,国外へ追放された。1601年同じくジェロニモと再来日して京都へ行き,10年同地のフランシスコ会修院長となった。…

※「ジェロニモデジェズス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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