現代外国人名録2016 「ジェーンフォンダ」の解説
ジェーン フォンダ
Jane Fonda
- 職業・肩書
- 女優
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1937年12月21日
- 出生地
- ニューヨーク市
- 本名
- Fonda,Jayne Seymour
- 学歴
- バッサー女子大学中退
- 受賞
- アカデミー賞主演女優賞(第44回・51回)〔1971年・1978年〕「コールガール」「帰郷」,演劇批評家賞(1960年度)「There Was a Little Girl」,ゴールデン・グローブ賞主演女優賞(第35回)〔1978年〕「ジュリア」,エミー賞主演女優賞〔1984年〕「The Dollmaker」,ゴルダ・メイア協力賞〔1990年〕,テレビマン・オブ・ザ・イヤー〔1990年〕
- 経歴
- 父は名優ヘンリー・フォンダ、弟は俳優で監督のピーター・フォンダ。父との不和から屈折した青春時代を過ごす。大学在学中画家を志してパリで絵画と語学を学ぶ。舞台女優、雑誌のカバーガールを経て、1960年「のっぽ物語」で映画デビュー。’63年渡仏。’67年ロジェ・バディム監督と結婚。’60年代末からベトナム反戦運動に参加、ウーマン・リブの闘士として活躍。’71年反戦ショー「FTA(フリー・ザ・アーミー)」の一行と来日。’73年バディムと離婚し、反戦運動家のトム・ヘイドンと再婚。運動の傍ら、映画女優としても活躍し、’71年「コールガール」で、’78年には「帰郷」で2度アカデミー賞主演女優賞を受賞、大女優の地位を獲得した。また「チャイナ・シンドローム」(’79年)などプロデューサーとしても手腕を発揮。’92年8月映画界からの引退を表明するが、2005年復帰。他の出演作に「ニューヨークの休日」(1963年)、「輪舞」(’64年)、「獲物の分け前」(’66年)、「裸足で散歩」(’67年)、「バーバレラ」(’68年)、「ひとりぼっちの青春」(’69年)、「人形の家」(’73年)、「ジュリア」(’77年)、「チャイナ・シンドローム」(’79年)、「黄昏」(’81年)、「私が愛したグリンゴ」(’89年)、「アイリスへの手紙」(’90年)、「ウェディング宣言」(2005年)、「幸せのルールはママが教えてくれた」(2007年)、「パパが遺した物語」(2015年)などがある。1979年ワークアウト(体操)教室を始め、’82年ビデオ「ジェーン・フォンダのワークアウト」を発売、フィットネス産業に革命を起こす。’89年12月ヘイドンと離婚。’91年12月CNNのオーナーで大富豪のテッド・ターナーと結婚(2001年離婚)。1995年“未成年の妊娠を防ぐためのジョージア・キャンペーン(G-CAPP)”を開始、2002年にはエモリー大学医学部にジェーン・フォンダ・センターを開設するなど、少年少女を守る活動に精力的に取り組む。2007年1月米軍のイラク撤退を求める反戦集会に出席し、「沈黙はもう選択肢ではない」と活動を呼びかけた。著書に「ジェーン・フォンダ わが半生」(2005年)などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報