フォンダ(読み)ふぉんだ(英語表記)Henry Fonda

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォンダ」の意味・わかりやすい解説

フォンダ(Jane Fonda)
ふぉんだ
Jane Fonda
(1937― )

アメリカの女優。ニューヨーク生まれ。ヘンリーフォンダの娘。パリ留学後、アクターズ・スタジオに学び、1960年映画界にデビューした。1965年にフランスの映画監督ロジェ・バディムと結婚、『獲物分け前』(1966)などに主演したが、離婚して帰米。『コールガール』(1971)、『帰郷』(1978)で2回アカデミー主演女優賞受賞。反体制運動闘士としても活躍。代表作に『ジュリア』(1974)、『チャイナ・シンドローム』(1979)、『9時から5時まで』(1980)、『黄昏(たそがれ)』(1981)、『モーニング・アフター』(1986)、『私が愛したグリンゴ』(1989)、『アイリスへの手紙』(1990)などがある。

[畑 暉男]

『山田宏一編『ジェーン・フォンダ 美と闘争の神話』増補改訂版(1981・芳賀書店)』『ジェーン・フォンダ他著、田村協子訳『ジェーン・フォンダのワークアウト』(1982・集英社)』『フレッド・ローレンス・ガイルズ著、長沢由美訳『ジェーン・フォンダ 華麗なる挑戦』(1983・集英社)』『ジェーン・フォンダ著、堂浦恵津子訳『ジェーン・フォンダのからだ術こころ術』(1987・晶文社)』『ピーター・コリアー著、谷川建司訳『フォンダ――ヘンリー、ジェーン、そしてピーター』(1995・キネマ旬報社)』


フォンダ(Henry Fonda)
ふぉんだ
Henry Fonda
(1905―1982)

アメリカの俳優ネブラスカ州生まれ。ミネソタ大学を中退して地方劇団に加わりニューヨークの舞台に立ち、1935年に映画界にデビュー。アメリカ映画の良心と知性を代表する演技者として50年に近いキャリアのなかに数々の名演を残し、『黄昏(たそがれ)』(1981)でアカデミー主演男優賞を受賞した。その間『怒りの葡萄(ぶどう)』(1940)、『荒野の決闘』(1946)、『ミスタア・ロバーツ』(1955)などフォード監督の諸作や、『十二人の怒れる男』(1957)、『女優志願』(1958)など多数に出演した。娘ジェーンは俳優として、息子ピーターPeter Fonda(1939―2019)も俳優、映画監督として活躍。

[畑 暉男]

『ハワード・ウィクマン著、鈴木主税訳『ヘンリー・フォンダ マイ・ライフ』(1982・文芸春秋)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォンダ」の意味・わかりやすい解説

フォンダ
Fonda, Jane

[生]1937.12.21. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の女優。本名 Jane Seymour Fonda。父は俳優ヘンリー・フォンダ。名門女子大学のバッサー・カレッジを 2年で中退,1958年にニューヨークの俳優養成機関アクターズ・スタジオでリー・ストラスバーグに演技を学び,モデルとしても働いた。1960年に戯曲 "There Was a Little Girl"でブロードウェーに進出し,『のっぽ物語』Tall Storyで映画デビューを果たした。1960年代には『キャット・バルー』Cat Ballou(1965),『裸足で散歩』Barefoot in the Park(1967)など数多くの映画でコミカルな役を演じた。その後,『ひとりぼっちの青春』They Shoot Horses, Don't They?(1969),『コールガール』Klute(1971),『帰郷』Coming Home(1978),『チャイナ・シンドローム』The China Syndrome(1979)など社会派の作品に出演した。『コールガール』と『帰郷』でアカデミー賞主演女優賞を受賞。1981年には『黄昏』On Golden Pondで父親と共演。一時映画界を離れていたが,2005年に『モンスター・イン・ロー』Monster-in-Lawで復帰した。政治活動家としても有名で,1970~80年代には反体制の活動家として活躍。ベトナム反戦運動に携わり,1972年にベトナム民主共和国(北ベトナム)のハノイを訪れてアメリカ軍の北ベトナム爆撃(北爆)を批判した(→ベトナム戦争)。私生活では,フランスの映画監督ロジェ・バディム,アメリカの政治家トム・ヘイデン,アメリカのテレビ局 CNNの創業者テッド・ターナーとの 3度の結婚・離婚を経験した。

フォンダ
Fonda, Henry

[生]1905.5.16. ネブラスカ,グランドアイランド
[没]1982.8.12. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の舞台・映画俳優。フルネーム Henry Jaynes Fonda。ネブラスカ州オマハに育ち,マーロン・ブランドの母ドロシーに誘われアマチュア劇団オマハ・コミュニティー・プレイハウスの公演に出演するようになった。ミネソタ大学で一時ジャーナリズムを学んだのち,1928年東海岸に移住。マサチューセッツ州ファルマスで学生演劇集団「ユニバーシティ・プレーヤーズ」に参加し,のちに最初の妻(生涯で 5回結婚)となるマーガレット・サラバンらと出会う。1934年ブロードウェーの舞台『運河のそよ風』The Farmer Takes a Wifeで初めて主役を務め,翌 1935年には映画化作品の同じ役で映画デビューを果たした。第2次世界大戦中は海軍に入隊。戦前戦後を通じ,ジョン・フォード監督作品に数多く出演しており,代表作は『怒りの葡萄』The Grapes of Wrath(1940),『荒野の決闘』My Darling Clementine(1946)など。1948年ブロードウェーに凱旋し,『ミスタア・ロバーツ』Mister Robertsでトニー賞を受賞した。晩年も映画出演を続け,生涯最後の出演作となった『黄昏』On Golden Pond(1981)でアカデミー賞主演男優賞を獲得。その前年にはアカデミー賞名誉賞を受賞している。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android