エジプト,アスワンの近く,ナイル河口から約900kmの上流にあるロックフィルダム。アラビア語ではSadd al-`Alīという。ナイル川のアスワン付近での年間流量は豊水年で1510億t,渇水年で420億tと大きく変化するので,これを平滑化して有効に利用することは川沿住民にとって古くからの悲願であった。1902年にこの地点に完成し,その後2回かさ上げされた貯水量50億m3のアスワン・ダムによって,エジプトの綿花の生産高は3倍に躍進した。しかしこのダムの貯水量は年流量の5%にすぎず,渇水年には貯水量が著しく減るなど,まだ多くの問題が残っていた。このため,55年当時のエジプトのナーセル大統領によって,アスワン・ダムの貯水池の中に,高さ111m,堤頂長3.6kmの新しいロックフィルダム,アスワン・ハイ・ダムを造ることが計画された。当初は世界銀行が資金を,アメリカ,イギリスが技術の援助をする予定であったが,ナーセル大統領の対外政策がアメリカの政策にそわなくなったことから,アメリカがまず援助計画を撤回し,イギリス,世界銀行もこれにならった。これに対して,エジプトは56年スエズ運河の国有化を宣言して運河の通航料収入をダム建設費の一部に充当することを表明,この結果スエズ動乱が勃発した。この危機を切り抜けたエジプトは運河の国有化を実現するとともにソ連から4億ドルの資金と技術援助を受けて,60年に着工,70年に完成した。豊水年の水を蓄えこれを渇水年の不足にあてられるように貯水量は世界第3位の大きさの1570億m3もあり,貯水池(ナーセル湖と命名。面積約3240km2)の長さはエジプト領内で350km,スーダン領内で150kmに及ぶ。エジプト側にあるアスワン・ハイ・ダム発電所で年間100億kWhの発電をするとともに,エジプトで年間550億m3,スーダンで185億m3の水を灌漑に利用している。技術的には,深さ35mの水中での岩や土から成るフィル材料の盛立て,粘土とセメントによる特殊なグラウチングを利用しての基礎の砂れきの補強および止水に特徴をもっている。洪水時の流水に含まれる肥料効果がダム建設によって失われることの埋合せの研究もなされたが,ダム建設以前には洪水によって自然に淘汰されていた動植物が異常に増えたり,河口付近の生態系に変化を生じたりしており,ダムが環境に及ぼす影響として注目されている。またダム建設に伴って古代エジプト文化のヌビア遺跡の多くが水没することから,ユネスコが中心となってその一部を保存するための工事が行われた。その最大のものはアブ・シンベルの神殿で,川岸の砂岩の崖に刻まれた高さ20mの4人の王の巨像をまわりの岩から切り離し,総計約40万tの重さの石を持ち上げて移設した。
執筆者:柴田 功
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エジプト南部、アスワンに近いナイル川に建設された世界有数の巨大なロックフィルダム。ダムの高さは111メートル、堤頂の長さ3.6キロメートル。ナセル湖とよばれる貯水池の総貯水容量は1690億立方メートル、世界第2位の人造湖である。その延長はスーダンとの国境を越え500キロメートルに及ぶ。ナイル川第一瀑布(ばくふ)には1902年にアスワン・ダムが建設されたが、その後エジプトのナセル大統領はナイル川の開発をさらに進めるため、このダムの上流7キロメートルの地点に、灌漑(かんがい)、発電、洪水調節を目的としたアスワン・ハイ・ダムの建設を計画した。工事はソ連の資金、技術援助を受けて、1960年に着手され、1970年に完成。また1976年には完成後初めて満水位に達した。最大発電量210万キロワット。
なお、このダムの建設により、古代エジプトの多くの遺跡が水没するため、「ダムか神殿か」の論争が交わされたが、ユネスコが中心となり、アブ・シンベル神殿の移転など、遺跡の発掘、保存が進められた。
[石﨑正和]
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ナセル期のエジプトが挑んだ最大の国家プロジェクト。1954年に建設が決定されたが,ナセルのソ連接近を嫌った英米両国が建設資金を引き揚げ,世界銀行にも出資を中止させたため,ナセルは必要資金を確保すべくスエズ運河国有化を断行した。この結果,第2次中東戦争が勃発する。戦後の58年ソ連が資金供与に合意し,70年公式に開業。
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…第3は水量を調節し,運河の水位をあげるための大規模なダムの建設である。エジプトでは1872年のデルタ・バラージュの建設に続いて1902年にはアスワン・ダムが完成したことにより水量の調節がすすみ,70年にはアスワン・ハイ・ダムの完成によってナイルの増減水を完全に統御できるようになった。これによって耕地面積と電力の供給量は文字通り倍増したが,肥沃な泥土をもたらす古来の洪水は失われた。…
…アスワン・ダムの貯水能力は9億9000万m3であり,利用可能なナイル川の水のまだ一部分を貯水しうるにすぎなかった。貯水量を飛躍的に高め,ナイル川の水を余すところなく利用する体制を目ざしたのがアスワン・ハイ・ダムであり,ナイル川の近代的通年灌漑体系の完成をもたらすものであった。 アスワン・ハイ・ダムは多目的(灌漑,洪水調節,発電)ダムで,1960年ソ連の援助で着工され,10年の工期を要し70年に完工した。…
… 国内政策としては,第1次農地改革を実施し,産業振興に努め,対外政策としてはエジプト駐留イギリス軍の撤兵,バンドン会議における非同盟の旗手の役割,アラブ世界における民族主義(アラブ民族主義)の中核的役割など華々しい活動を展開した。55年チェコスロバキアからの武器購入,バグダード条約機構加盟の拒否によって対欧米関係が悪化し,アスワン・ハイ・ダム建設に対する世界銀行の融資の約束が撤回され,ナーセルはこれに対し56年スエズ運河国有化をもってこたえた。この措置は脱植民地化のシンボルとされたが,イギリス,フランス,イスラエル軍の介入によるスエズ戦争を引き起こした。…
…ギリシアのクレマスタ・ダム,中国広東省の新豊江ダムでも被害地震が起こっている。著名なダムとしては,タジキスタンのヌレーク・ダム,アフリカのローデシア,ザンビア国境のカリバ・ダム,エジプトのアスワン・ハイ・ダムなども多数の誘発地震を発生している。日本のダムでも近くに地震が発生した例はあるが,もともと地震の多い国なので,ダムの影響かどうか判定がむずかしい。…
※「アスワンハイダム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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