ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
スタニスワフ2世アウグスト・ポニャトフスキ
スタニスワフにせいアウグスト・ポニャトフスキ
Stanisław II August Poniatowski
[没]1798.2.12. ペテルブルグ
ポーランド最後の王 (在位 1764~95) 。ポニャトフスキ家出身の選挙王。アウグスト3世 (→フリードリヒ・アウグスト2世 ) の死後,親ロシア派のチャルトルイスキ家に擁立され,ロシア女帝エカテリーナ2世 (大帝)の支持で即位した。統治の初期,チャルトルイスキ家の念願にした王権強化はポトツキ家などのマグナート (大領主) と,エカテリーナによって阻止され,さらに反抗的貴族のバール連盟を敵にして危機に直面。その結果ロシアへの依存を深め,第1次ポーランド分割 (1772) の代価を支払った。これを機会に漸進的な憲法改革に着手し,国民教育委員会と常設評議会を創設して王権強化の基礎をつくった。その偉業の集大成は「4ヵ年議会」 (88~92) で成立した『五月三日憲法』として結実 (91) 。この憲法に反対したタルゴウィツァ連盟と,これを支援したロシア軍の干渉で第2次ポーランド分割 (93) を招来。この分割直後,各地に起った武装蜂起を押え切れず,第3次ポーランド分割 (95) に伴う国家滅亡後はペテルブルグに隠棲。ほどなく死去した。すぐれた知性,華麗な女性遍歴,悲劇的な政治的生涯のために,多くの歴史家の想像力を刺激すると同時に,ポーランド史上最も評価の分かれる国王である。
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