スタンバーグ(読み)すたんばーぐ(英語表記)Josef von Sternberg

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スタンバーグ」の意味・わかりやすい解説

スタンバーグ
すたんばーぐ
Josef von Sternberg
(1894―1969)

アメリカの映画監督。ウィーンに生まれ、少年時代に両親とともにアメリカに渡る。さまざまな職業を経験したのち映画界に入り、編集、脚本助監督を経て、1925年『救ひを求める人々』(自費製作)を監督、注目を集めた。ギャング映画を一つのジャンルに高めた『暗黒街』(1927)でその地位を確立し、以後秀作を立て続けに発表した。代表作は『紐育(ニューヨーク)の波止場』(1928)、『女の一生』(1929)、トーキー以後は、ドイツでつくった『嘆きの天使』(1930)、そしてこの映画に出演したディートリヒをヒロインにする一連の映画『モロッコ』(1930)、『間諜(かんちょう)X27』(1931)、『上海(シャンハイ)特急』(1932)などである。これらは光と影を効果的に用いた独特の美しい映像スタイルによって特徴づけられていたが、1930年代後半以降は沈滞した。第二次世界大戦後、日本で『アナタハン』(1953)を製作。

[宮本高晴]

資料 監督作品一覧

救ひを求むる人々 The Salvation Hunters(1925)
陽炎の夢 The Exquisite Sinner(1926)
暗黒街 Underworld(1927)
最後の命令 The Last Command(1928)
非常線 The Dragnet(1928)
紐育の波止場 The Docks of New York(1928)
サンダーボルト Thunderbolt(1929)
女の一生 The Case of Lena Smith(1929)
嘆きの天使 Der Blaue Engel(1930)
モロッコ Morocco(1930)
間諜X27  Dishonored(1931)
アメリカの悲劇 An American Tragedy(1931)
上海特急 Shanghai Express(1932)
ブロンド・ヴィナス Blonde Venus(1932)
恋のページェント The Scarlet Empress(1934)
西班牙(スペイン)狂想曲 The Devil Is a Woman(1934)
罪と罰 Crime and Punishment(1935)
陽気な姫君 The King Steps Out(1936)
上海ジェスチャー The Shanghai Gesture(1941)
マカオ Macao(1952)
アナタハン Anatahan(1953)
ジェット・パイロット Jet Pilot(1957)

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改訂新版 世界大百科事典 「スタンバーグ」の意味・わかりやすい解説

スタンバーグ
Josef von Sternberg
生没年:1894-1969

アメリカの映画監督。アメリカのギャング映画の歴史を開いた《暗黒街》(1927)の監督であるとともにマルレーネ・ディートリヒを世界的なスターに仕上げたドイツ映画《嘆きの天使》(1930)の名監督として知られる。ウィーンの中流ユダヤ人家庭に生まれたが,貴族を思わせる〈フォン〉は,のちにアメリカの映画製作者の商魂によって付け加えられたもの。1925年,5000ドルに満たない資金を共同で調達した自主製作映画《救ひを求むる人々》の自然主義的な描写と,映像的な美しさがチャップリンに評価され,その口ききでユナイテッド・アーチスツの手で公開された。その後,ギャング映画の先駆けとなった《暗黒街》で注目され,続いてアメリカのサイレント映画末期の代表作の一つ《紐育の波止場》(1929)をつくり,ひき続いてドイツへ出かけて,〈スクリーン・エロティカ〉の古典となったUFA(ウーフア)社のトーキー第1作《嘆きの天使》でディートリヒにめぐりあい,彼女を連れてハリウッドに帰り,画期的な音声処理を示した《モロッコ》(1930)をはじめ6本のディートリヒ主演映画をつくる。その間に原作者のT.ドライサーを激怒させたという《アメリカの悲劇》(1931)などを撮り,〈光と影の叙情詩人〉といわれ,カメラを画家の筆あるいは詩人のペンのように使うと評されたが,ディートリヒとのかかわりを〈ピグマリオンとガラティア〉の関係にたとえられ,作品よりも主演女優を美化する自己陶酔的な傾向が強いとの批判を受け,私生活のスキャンダルもからんで《西班牙(スペイン)狂想曲》(1935)を最後にディートリヒとのコンビが解消され,〈映画作家〉としての一つの時代を終える。その後ディートリヒの幻影を追い求めて華麗な〈官能的映像〉をよみがえらせた《上海ジェスチャー》(1941)のようなスタンバーグならではのメロドラマの傑作を生み出したものの興行的には不成功で,恵まれない末路をたどる。ハワード・ヒューズの干渉で完成して7年後に公開された反共メロドラマ《ジェット・パイロット》(1951),他の監督の手で完成されることになる《マカオ》(1952)などをへて,日本に招かれてつくった《アナタハン》(1953)が遺作になった。自伝《中国人の洗濯屋のドタバタFun in a Chinese Laundry》(1965)がある。
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百科事典マイペディア 「スタンバーグ」の意味・わかりやすい解説

スタンバーグ

映画監督。オーストリア,ウィーン生れ。本来は貴族の称号である〈フォン〉は米国の映画製作者によってつけられた。自主制作の《救ひを求むる人々》(1925年)がC.チャップリンに評価され,ハリウッドでギャング映画の先駆的作品《暗黒街》(1927年)などを手がける。ドイツで撮影した《嘆きの天使》(1930年)でM.ディートリヒをスターにし,《モロッコ》(1930年),《上海特急》(1932年)など計6作品でコンビを組んだ。華麗な映像で〈光と影の抒情詩人〉と評されたが,コンビ解消後は不遇をかこった。後年の作品に《上海ゼスチャー》(1941年),反共メロドラマ《ジェット・パイロット》(1951年),日本で撮影した遺作《アナタハン》(1953年)などがある。
→関連項目ヤニングス

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世界大百科事典(旧版)内のスタンバーグの言及

【嘆きの天使】より

…1930年製作のドイツ映画。ハリウッドでトーキー第1作《サンダーボルト》(1929)を撮ったジョゼフ・フォン・スタンバーグが,ドイツのウーファ社のエーリヒ・ポマー(1889‐1966)に招かれて監督,ドイツ語版と英語版が同時につくられた。女流監督レオンティーネ・ザガン(1889‐1974)の《制服の処女》(1931)などと並んでドイツのトーキーの本格的到来を告げるとともに,またワイマール時代のドイツ映画の末期を飾った作品である。…

【モロッコ】より

…1930年製作のアメリカ映画。ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督作品。ドイツ映画《嘆きの天使》(1930)でスタンバーグ監督により発見され一躍スターになったマルレーネ・ディートリヒが,ハリウッドに〈輸入〉されて出演した初めてのアメリカ映画であり,〈ピグマリオンとガラテア〉にたとえられたスタンバーグ=ディートリヒコンビによる一連のハリウッド作品(1935年の《西班牙狂想曲》まで6本ある)の出発点となった。…

※「スタンバーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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