ドイツ映画。1930年製作。原作はハインリヒ・マンの小説『ウンラート教授』。トーキー時代に入り、言語の問題でドイツ映画が世界市場で低迷する状況を打開すべく、ウィーン出身のジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督がハリウッドから招かれて製作された。
生徒からウンラート(汚物)とあだ名されるギムナジウムの堅物教授ラート(エミール・ヤニングス)は、場末のキャバレー「嘆きの天使」に出演する一座の歌手ローラ(マレーネ・ディートリヒ)の色香に惑い、職を捨てて彼女と結婚。一座と巡業するうちに道化として舞台に立つまでになる。妻の浮気に逆上したラートは、失意のなか、かつての職場の教室で最後を迎えるのだった。
世界市場をねらったこの作品は英語版が同時製作され、日本では英語版が公開。当時無名に近い存在ながらローラ役に抜擢(ばってき)されたディートリヒは、圧倒的な存在感を示して一躍脚光を浴び、スタンバーグと渡米してスターの座を不動にするが、彼女の物憂い歌声と脚線美はむしろワイマール文化のシンボルとして歴史に刻印されている。
[濱田尚孝]
『ジークフリート・クラカウアー著、平井正訳『カリガリからヒットラーまで』増補改訂版(1980・せりか書房)』▽『クルト・リース著、平井正他訳『ドイツ映画の偉大な時代――ただひとたびの』(1981・フィルムアート社)』▽『クラウス・クライマイアー著、平田達治他訳『ウーファ物語――ある映画コンツェルンの歴史』(2005・鳥影社)』▽『hrsg. von Gänter Dahlke und Günter KarlDeutsche Spielfilme von den Anfüngen bis 1933(1993, Henschel Verlag, Berlin)』
1930年製作のドイツ映画。ハリウッドでトーキー第1作《サンダーボルト》(1929)を撮ったジョゼフ・フォン・スタンバーグが,ドイツのウーファ社のエーリヒ・ポマー(1889-1966)に招かれて監督,ドイツ語版と英語版が同時につくられた。女流監督レオンティーネ・ザガン(1889-1974)の《制服の処女》(1931)などと並んでドイツのトーキーの本格的到来を告げるとともに,またワイマール時代のドイツ映画の末期を飾った作品である。スタンバーグに発見されたマルレーネ・ディートリヒが一躍スターとなったことでも知られる。帝制ドイツの教育制度と教育者のまやかしの権威と偽善性を告発したハインリヒ・マンの小説《ウンラート教授--ある暴君の末路》(1905)の映画化で,ふとしたことからキャバレー〈青い天使〉(《嘆きの天使》の原題)の歌手(ディートリヒ)の色香に迷う道学者ぶった謹厳な高校教師(エミール・ヤニングス)の堕落とその末路を描く。ディートリヒによる〈セックスの化身〉とそのサディズムによって世界中で大ヒット,パリでは封切り後まもなく映画の題名と同じ名のナイトクラブがオープンしたと伝えられる。しかしドイツでは,33年,ゲッベルスがドイツ人の品性を辱めた〈退廃芸術〉として公開禁止処分にした。同じ題材がハリウッドで59年に,エドワード・ドミトリク監督,クルト・ユルゲンスとマイ・ブリット主演でリメークされている。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…アメリカの映画監督。アメリカのギャング映画の歴史を開いた《暗黒街》(1927)の監督であるとともにマルレーネ・ディートリヒを世界的なスターに仕上げたドイツ映画《嘆きの天使》(1930)の名監督として知られる。ウィーンの中流ユダヤ人家庭に生まれたが,貴族を思わせる〈フォン〉は,のちにアメリカの映画製作者の商魂によって付け加えられたもの。…
…そのような身についた感情の欠如と無表情が,のちに映画監督ジョゼフ・フォン・スタンバーグの目をとらえることになる。はじめマックス・ラインハルトの演劇学校で学び,ドイツの雑誌でグレタ・ガルボと比較される人気女優になっていた1929年,スタンバーグに認められて《嘆きの天使》(1930)のローラ・ローラの役に抜擢(ばつてき)され,〈脚線美〉と〈退廃的な美貌〉で全世界の話題をさらった。パラマウントと契約してアメリカへ渡り,MGMのガルボのライバルとして売り出され,《モロッコ》(1930),《間諜X27》(1931),《上海特急》《ブロンド・ビーナス》(ともに1932),《恋のページェント》(1934),《西班牙(スペイン)狂想曲》(1935)と6本のスタンバーグ監督作品に出演した。…
…第1次大戦開戦後の1915年にデクラ社を設立し,表現主義映画の先駆的作品となったロベルト・ウィーネ監督《カリガリ博士》(1919),フリッツ・ラング監督《ドクトル・マブゼ》(1922)をつくった。23年にデクラ社がウーファ社に合併されたのちも,ラング監督《ニーベルンゲン》(1924),F.W.ムルナウ監督《最後の人》(1924),E.A.デュポン監督《ヴァリエテ》(1925),ヨーエ・マイ監督《アスファルト》(1929)などドイツ表現主義映画の代表作をはじめ,ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督《嘆きの天使》(1930),エリック・シャレル監督《会議は踊る》(1931)など,トーキー初期の重要な作品を製作,ハリウッドに対抗して,ベルリンを〈映画の首都〉とさえいわせたほどの勢いでドイツ映画の黄金時代を築き上げた。しかし,ナチスの台頭とともに他のユダヤ人芸術家と同様ドイツを去り,独立製作者としてパリ,ハリウッド,ロンドンをへて44年にアメリカ市民となったが,ハリウッドでの仕事はふるわず,46年,ドイツ映画復興のためアメリカ軍の司政官の資格でドイツへ出かけたのち,ふたたびハリウッドへ帰って死去した。…
…《ウンラート教授》(1905。映画化され邦題《嘆きの天使》)や《帝国》三部作(《臣下》《貧しき人びと》《頭》,1914‐25)では,市民社会の偽善性,脆弱性,権威主義と卑屈さなどがえぐり出され,フランス亡命中に完成した《アンリ4世の青春》(1935),《アンリ4世の完成》(1938)などの16世紀フランスに題材をとった歴史小説も社会主義リアリズム文芸理論の立場から高い評価を受けているが,作品の根底にある力強いヒューマニズムは党派性を超えている。【森川 俊夫】。…
…キャバレー文化といわれる都市の退廃的な文化が栄え,演劇,映画,写真など前衛的な芸術が開花した。30年にJ.vonスタンバーグ監督の《嘆きの天使》に出てくるマルレーネ・ディートリヒは〈夜の都市〉としてのベルリンの雰囲気をよく表している(ワイマール文化)。 20年代の都市の特徴は,各都市が世界的な規模で激しく交流しあっていたことであった。…
…《ワイマール文化》の著者)によって〈ワイマール共和国が生んだ最も重要な作品〉と位置づけられた。そして表現主義映画によって噴出した革命的情熱が,やがて冷たい空虚なサディズムを内容とする《嘆きの天使》,つまりクールなバンプ,マルレーネ・ディートリヒの足に踏みにじられていく過程ほど,大衆文化としてのワイマール文化の混沌としたカタストロフィー的性格を物語るものはない。
[思潮]
ワイマール時代の思想的営為は,危機意識をその特徴としている。…
※「嘆きの天使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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