スフロ(その他表記)Jacques-Germain Soufflot

改訂新版 世界大百科事典 「スフロ」の意味・わかりやすい解説

スフロ
Jacques-Germain Soufflot
生没年:1713-80

フランス建築家。オーセール近郊のイランシーIrancy生れ。ローマのフランス・アカデミーで古典建築を学ぶ。帰国後リヨンオテル・デュー(1755)などの公共建築を多く手がけて名声を博し,パリに招かれてサント・ジュヌビエーブ教会(1790。現,パンテオン)などを設計。ローマ滞在中に知ったピラネージを中心とする新古典主義影響を受け,古典建築の厳正さに奔放な精神を加味したフランス新古典主義建築を生み出した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スフロ」の意味・わかりやすい解説

スフロ
Soufflot, Jacques-Germain

[生]1713.7.22. イランシー
[没]1780.7.29. パリ
フランスの建築家。フランスに古典主義建築を導入した 18世紀の最もすぐれた建築家。リヨンならびにローマのフランス・アカデミーで建築を学び,のち小アジア各地を旅行して古典建築を研究。帰国後リヨン劇場およびオテル・ディオーを設計して名声を博した。 1755年パリのサント・ジュヌビエーブ聖堂 (現パンテオン) 設計の懸賞募集に入賞。この建築は 64年に起工し,彼の死後完成した。 57年国王の主任建築家となり,ルーブル宮の造営にたずさわった。上記のほか彼の設計に成った建物ではパンテオン広場に面するパリの法科大学 (1772) ,リヨンのマッソン病院などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「スフロ」の意味・わかりやすい解説

スフロ

フランスの建築家。ローマ滞在中にピラネージらの影響を受け,フランス新古典主義建築の端緒を開いた。初めリヨンで活動したが,パリに招かれ,1755年サント・ジュヌビエーブ聖堂(現パンテオン)を設計。1776年王室建築総監督となる。
→関連項目古典主義

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android