ピラネージ(読み)ぴらねーじ(英語表記)Giovanni Battista Piranesi

デジタル大辞泉 「ピラネージ」の意味・読み・例文・類語

ピラネージ(Giovanni Battista Piranesi)

[1720~1778]イタリア版画家・建築家エッチングにより、多くの古代建築図や「ローマ景観図」を制作ほかに、幻想的建築版画集「牢獄」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピラネージ」の意味・わかりやすい解説

ピラネージ
ぴらねーじ
Giovanni Battista Piranesi
(1720―1778)

イタリアの版画家、建築家、考古学者。ベネチア近郊のメストレに生まれ、ベネチアで舞台美術を学んだ後、1740年にローマに移り、以後一時の帰郷を除いて生涯をローマで送った。50年に出版した『牢獄の奇想にみちた創造』Invenzioni capric di Carceri(1760年の増補第2版で『想像の牢獄』Carceri d'Invenzione改題)は、銅版画の技法の一つであるエッチングにより、めまいを誘うような巨大な牢獄の情景を描いて有名である。1745年ごろより観光客の土産(みやげ)用にローマの景観を描いた連作版画を制作するが、やがて古代ローマへの考古学的関心を深め、56年に4巻からなる『ローマの遺跡Antichita romaneを出版する。また、ギリシアとローマの二つの古代文化の優劣を争う論争にも参加、ローマの優位を訴え、61年に『ローマの壮麗と建築』De Romanorum Magnificentia et Architetturaを出版した。その作品には、斜めに奥行を出した極端な遠近法や、強い光と影のコントラストなど、若いころ学んだ舞台美術の流れをくむ劇的な表現がしばしば用いられる。そのため、たとえ現実の情景を描いたものや考古学的復元図であっても、『牢獄』に代表される奇想画や想像の景観画のもつ幻想味を帯びていることが多い。ピラネージの諸作品はこの幻想味ゆえに、とくに北ヨーロッパの芸術家たちの古典古代に対するイメージの形成全体に大きな影響を与え、続くロマン主義美術の霊感源ともなった。

[蔵屋美香]

『ピーター・マレー著、長尾重武訳『ピラネージと古代ローマの壮麗』(1990・中央公論美術出版)』『岡田哲史著『ピラネージの世界』(1993・丸善)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ピラネージ」の意味・わかりやすい解説

ピラネージ
Giovanni Battista Piranesi
生没年:1720-78

イタリアの版画家,建築家。メストレに生まれる。建築家を志し,ベネチアで建築技師の伯父のもとで修業を積む一方,版画においてはC.ズッキから影響を受ける。また同時代のベネチア派にみる,地誌的風景画(ベドゥータveduta)の伝統は,後の彼の芸術的展開に影響を与える。1740年,ベネチア大使に随行し宿願のローマ行きが実現。画家G.P.パンニーニ,版画家G.バジに師事し,古代ローマ遺跡の版刻や版画集《建築とパースペクティブ第1部》(1743)を刊行する。44年ベネチアに帰郷。G.B.ティエポロから影響を受けて,従来の固い定形化した描写から脱し,豊かな絵画的描線と自在なイメージを獲得する。あわせてビビエーナらのバロック的舞台空間の刺激もあって,大判の,壮大な《牢獄》シリーズのイメージには画風の変化が認められる。後年の再版には劇的タッチと明暗効果が強化され,幻想的想像力の飛翔と内的葛藤が如実に表れる。45年,出版業者の経済的援助を受け再びローマに赴き版画制作・出版を意欲的に開始。《ローマの眺め》(1748-78)などの大量の作品は,内容的には技術・表現の革新を示し,かつ芸術家,知識人,グランド・ツアーの旅行客らに古代ローマの壮大さとその遺構のロマン主義的イメージを与えた貴重な資料である。50年代,考古学的関心が高まるとともにR.アダムらイギリスの芸術家との交流をもち,ロンドン好古学会の名誉会員に選ばれる。60年代にはローマ建築の起源論争において,J.J.ウィンケルマンらに対立するエトルリア文化賛美に基礎を置いた理論を激しく展開。また家具・装飾芸術のデザインを数多く手がける一方,修復家・美術商としての才もたけ,多角的な活動を続けた。ピラネージの作品は,古代ローマ芸術への単なる復古ではなく,独自の想像力豊かな解釈を展開させ,ヨーロッパの新古典主義の建築・装飾芸術,さらにロマン主義文学にも深く影響を及ぼした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピラネージ」の意味・わかりやすい解説

ピラネージ
Piranesi, Giambattista(Giovanni Battista)

[生]1720.10.4. メストレ
[没]1778.11.9. ローマ
イタリアの版画家。ベネチアで版画を C.ツッチに学び,1740年ローマを旅行,古代ローマの遺跡を銅版画に制作した。一時ベネチアで G.ティエポロについたが,45年再びローマに戻り永住。 1000枚以上の銅版を制作した。主要作品は『ローマの風景』 (1747) と『共和制時代の古代ローマの遺跡』 (56) などの連作。

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世界大百科事典(旧版)内のピラネージの言及

【イタリア美術】より

…カナレット,F.グアルディは,外光の描写を初めて実現した。また,ローマでは建築家G.B.ピラネージが古代ローマの遺跡の版画集を出版し,新古典主義に大きな刺激を与えた。しかし,大勢は無気力なアカデミズムにおおわれ,彫刻家A.カノーバのみが,わずかにヘレニズム的なアカデミズムを見せ,古代ローマのなごりを伝えている。…

【廃墟】より

…これにともない,宗教思想や科学思想においても自然を神の叡智が具体化したものとする認識が優勢になり,廃墟を含めた森羅万象へのフィールドワーク的な接近が始まった。これらはさらにG.P.パンニーニ,G.B.ピラネージらイタリアの版画家を経て廃墟を美術の主題とする動きを生み,自然と古城などを描くS.ローザの〈ピクチュアレスク〉絵画を通じて,西欧に廃墟趣味が普及した。 こうして18世紀になると,廃墟は人造物というよりもむしろ自然物とみなす感覚が一般的となり,この時期から本格的に製作されだした博物学図鑑の背景にも,木や草とともに廃墟が盛んに描かれた。…

※「ピラネージ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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