スラブ神話(読み)すらぶしんわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スラブ神話」の意味・わかりやすい解説

スラブ神話
すらぶしんわ

スラブ民族が分化以前に保有していたと考えられる神話の総体。スラブ諸民族は、キリスト教の公式の受容(9~10世紀)とともに、異教の神々への信仰を圧殺したため、神話の全体像を伝える文献資料はまったく存在していない。したがって、スラブ神話といわれるものは、年代記をはじめとする中世の史書、および現存のフォークロア資料に現れる断片的情報を再構成したものにすぎない。ただし、民衆の生活と密接に結び付いた下級神格精霊など)は、教会が抑圧しきれなかった民間信仰のなかに生き残っている。

 インド・ヨーロッパ諸族神話研究の成果から推定を試みると、分化以前のスラブ民族の間で公的な祭儀と結び付いた最高の神格は、ペルヌ(ロシア語ペルーン)とベレス(ロシア語も同じ)の二神で、前者は戦士を代表し、後者は自然を相手にする生産活動を体現したとされる。さらに、最高の神格に一女神が加わっていたとされるが、その名は伝わっていない。ペルヌは天に住む雷神で、地上に住むベレスとなんらかの原因で闘争を始める。ベレスは木や石の下に隠れ、また人間や家畜に姿を変えて逃走するが、大木や岩をも打ち砕く雷神ペルヌの敵ではなかった。ペルヌの勝利とともに大雨が降り、これが作物に実りをもたらした。しかしペルヌは民衆が崇拝した神格ではなく、支配者の祭儀の対象にすぎなかった。その点は、キエフ・ロシア(キエフ大公国)のウラジーミル公が988年にキリスト教を受け入れ、ペルーンの神像をドニエプル川に投げ捨てたとの年代記の記事からもうかがわれる。

 そのほか、スラブ神話のパンテオンを構成する上級の神格として、古代ロシアの火の神スバログ(南スラブ人のもとでの名称ははっきりしない)、太陽神ダジボグ(東スラブ人のもとでの名称)またはダボグ(南スラブ人のもとでの名称)などが知られている。次の段階に属するのは、農耕祖先崇拝に結び付く神格で、東スラブ人の家畜神モコーシ、さらに「生まれ」または「父祖」を意味するロードとチュールがあげられる。また「死」「運命」「裁き」といった一連抽象名詞が女神として別の体系をなしていたが、その抽象性にもかかわらず、神格としての地位はそれほど高くなかったらしい。ただこの種の神格に限らず、「生と死」「火と水」といった二つの神格の対立関係がスラブ神話の一特徴をなすといわれている。

 神格ではないが、神話上の英雄として東スラブ人のキイ、シチェク、ホリフ、西スラブ人のチェフ、リャフ、クラフなどの名が伝わるが、これらは地名や民族名の起源説明に用いられた。民話や民謡などフォークロア資料によって伝わる下級の神格、すなわち精霊の類は、スラブ民族の生活をよく反映している。東スラブ人を中心にいくつかをあげると、家の精を意味するドモボイ、その妻とされるキキーモラ、風呂場(ふろば)の精バンニク、穀倉の精オビンニク、森の精レシイ、野の精ポレボイなどがあり、これらは、ある種の儀礼が捧(ささ)げられればむしろ人間の生活を助けるものとされた。逆に人間に危害を与える精霊としては、水の精ボジャノイ、若い娘がおぼれてなるといわれる水の妖精(ようせい)ルサルカ(西スラブ人のビラ)などが知られている。

 体系としてのスラブ神話はキリスト教の導入とともに失われたが、キリスト教の信仰と祭儀に結び付いて根強く残った異教的信仰と習慣もある。このような形態を二重信仰(ドボエベリエ)とよぶ。たとえば雷神ペルヌの属性は、火の車に乗って昇天したという『旧約聖書』の預言者エリヤと結び付けられ、異教時代のクパロの祭りは、洗礼者ヨハネの祭日に重ねられてイバン・クパロの祭りとなった。スラブ神話の一部は、このような二重信仰の形でも後代に伝えられた。

[森安達也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スラブ神話」の意味・わかりやすい解説

スラブ神話
スラブしんわ
Slavic mythology

中央・東ヨーロッパの広大な森林,湖沼,河川,大草原を舞台に,6世紀頃から固有の民族集団を形成しはじめたスラブ人が,キリスト教に改宗する以前に伝承していた神話の総体。自然の創造力と破壊力との対立を根底として自然条件の影響を受け,森や河川などさまざまな自然物を支配する神々が崇拝された。光の神ベールボグ,闇の神チェルノボグ,至高神として太陽と火の2人の息子をもつ天空の神スビエログをはじめ,家庭の神ドモボーイ,庭の神ドボローボイ,納屋の神オビーンニク,森の神レーシュイ,畑の神ポールビク,水の神ボドイアノイ,ルサールカ,クパーラ,春の神ヤリーロなどのほかに,異民族との接触によってさまざまな神話が発達した。 10~11世紀にキリスト教が浸透するにつれて異教の神話は表面上拒否されたが,底流として逆にスラブのキリスト教に大きな影響を与え,民俗や行事のなかにのちのちまで生残った。

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