ウスペンスキー(英語表記)Gleb Ivanovich Uspenskii

精選版 日本国語大辞典 「ウスペンスキー」の意味・読み・例文・類語

ウスペンスキー

  1. ( Gljeb Ivanovič Uspjenskij グレープ=イワノビチ━ ) ロシア小説家批評家ナロードニキ運動に参加。主著「ラスチェリャーエワ街の風俗」「土地の力」「農村日記抄」など。(一八四三‐一九〇二

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改訂新版 世界大百科事典 「ウスペンスキー」の意味・わかりやすい解説

ウスペンスキー
Gleb Ivanovich Uspenskii
生没年:1843-1902

ロシアの作家。貧しい官吏の子として生まれ,ペテルブルグ,モスクワ両大学をいずれも経済的理由で退学。いとこの作家ウスペンスキーNikolai V.Uspenskii(1837-89)の影響もあって,1862年に作家活動に入る。ゴーゴリ以来の自然派のリアリズムの伝統をひきつぎ,農村や都会の片隅に生きる下層民の悲惨な生活を描いた《村の出合い》(1865),《ラステリャーエワ街の風俗》(1866),《零落》(1869)などの作品を,当時の民主派の雑誌に発表し,高い評価を受ける。70-80年代には,N.K.ミハイロフスキーをはじめとするナロードニキ思想家たちと交わり,農奴解放後の民衆の生活の実態を調査すべく,多くの地方を遍歴,セルビアブルガリアにまで赴いた。それをもとに書かれた《百姓と百姓仕事》(1880),《土の力》(1882)には,資本主義の浸透によって落ちぶれていく農民の姿が,ありのままに描きだされており,農村文学の傑作とされている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウスペンスキー」の意味・わかりやすい解説

ウスペンスキー(Gleb Ivanovich Uspenskiy)
うすぺんすきー
Глеб Иванович Успенский/Gleb Ivanovich Uspenskiy
(1843―1902)

ロシア人民派(ナロードニキ)の代表的作家。モスクワ大学中退後、従兄(いとこ)のニコライ・ウスペンスキーらの影響下に、故郷の町トゥーラ小役人や職人の生活の悲哀を深い現実認識に基づき記録文学風に書いた『ラスチェリャーエワ街の風習』(1866)により文名を確立。以来、資本主義的諸関係の農村への浸透が引き起こす共同体的ロシアの崩壊、農民の階層分化などの歴史的変貌(へんぼう)を庶民生活の精密な調査によって記録する、独自の社会学的ルポルタージュの作品世界を完成させた。代表作は、ほかに『土地の力』(1882)、『百姓と百姓仕事』(1880)など。なお、晩年精神に異常をきたし、生涯を終えた。

島田 陽]


ウスペンスキー(Nikolay Vasil'evich Uspenskiy)
うすぺんすきー
Николай Васильевич Успенский/Nikolay Vasil'evich Uspenskiy
(1837―1889)

ロシアの小説家。最下層の田舎(いなか)司祭の子。大学中退後作家活動に入る。農奴解放(1861)前はネクラーソフら進歩派の支持を得たが、個人的不和から寄稿する雑誌を転々と変えた。晩年は放浪と飲酒に明け暮れ、破滅型無頼派らしく路上で自殺して果てた。作品世界の特徴は、農民の赤貧、無知が結果する精神と肉体の荒廃をリアルに描出する点にある。『子豚』(1858)、『よい暮らし』(1858)などの作品がある。

[島田 陽]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウスペンスキー」の意味・わかりやすい解説

ウスペンスキー
Uspenskii, Gleb Ivanovich

[生]1843.10.25. トゥーラ
[没]1902.4.6. ペテルブルグ
ロシアの作家。 1861年ペテルブルグ大学に入学,翌年モスクワ大学に転学したが,経済的理由で中退。その頃から作品を書きはじめ,地方都市下層民の生活を描いた記録文学集『ラステリャーエワヤ街の風習』 Nravy Rasteryaevoi ulitsy (1866) や『零落』 Razoren'e (69) を『現代人』誌に発表して文名を高めた。その後,『農村日記抄』 Iz derevenskovo dnevnika (77~80) ,『農民と農民労働』 Krest'yanin i krest'yanskii trud (80) ,『大地の力』 Vlast' zemli (82) などの代表的な作品で,農村への資本主義の浸透,農村共同体の崩壊,農民の階級分化と意識の変化などを人民主義の立場から克明に描き,ゆるぎない地歩を築いた。しかし,ナロードニキ運動の敗北と挫折により,晩年は精神錯乱に陥って自殺した。

ウスペンスキー
Uspenskii, Nikolai Vasil'evich

[生]1837. トゥーラ,ストゥピノ
[没]1889.11.2. モスクワ
ロシアの作家。 G.I.ウスペンスキーのいとこ。郷里の神学校卒業。ペテルブルグ大学中退。 1857年に発表した短編『老婆』 Starukh,『洗礼』 Krestinyが N.ネクラーソフに認められ,以後『現代人』誌に『民衆生活の記録』 Ocherki narodonovo bytaという総題で一連の短編を発表し人気を博した。やがて民衆生活を否定的に描き,ネクラーソフと決別するに及んで文壇から見放され,極貧のうちに自殺した。

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百科事典マイペディア 「ウスペンスキー」の意味・わかりやすい解説

ウスペンスキー

ロシアの作家。ナロードニキ的傾向をもち,資本主義発達期のロシアの農村,地方都市の生態を記録文学風に描いた。代表作《ラステリャーエワヤ街の風習》(1866年),《大地の力》(1882年)等。

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世界大百科事典(旧版)内のウスペンスキーの言及

【チャストゥーシカ】より

…一般に特定の個人への直接的な呼びかけ,あるいは掛合いという形をとるので,即興性も重要な特徴をなしている。チャストゥーシカを独立した歌謡の形式としてはじめて認めたのは作家のG.ウスペンスキーであるが(1889),ロシア各地で本格的な収集と刊行がはじまるのは20世紀になってからである。ブロークやエセーニンをはじめとして,現代のソビエト詩人にいたるまで,この民謡の形式をかりて作品を創作している詩人は枚挙にいとまがない。…

※「ウスペンスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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