日本大百科全書(ニッポニカ) 「イワーノフ」の意味・わかりやすい解説
イワーノフ(Lev Ivanovich Ivanov)
いわーのふ
Лев Иванович Иванов/Lev Ivanovich Ivanov
(1834―1901)
ロシアの舞踊家、振付師。サンクト・ペテルブルグ生まれ。同地の帝室舞踊学校を1852年に卒業。帝室バレエの本拠地マリンスキー劇場で活躍、19世紀後半のロシア・バレエの興隆に貢献した。終生プチパの影に隠れた存在であったが、最近の研究では、『白鳥の湖』の第2幕のバレエ・プランと第4幕は彼の振付けになるとされている。ほかに『ラ・フィユ・マル・ガルディ』『くるみ割り人形』などの振付けがある。
[市川 雅]
イワーノフ(Vyacheslav Ivanovich Ivanov)
いわーのふ
Вячеслав Иванович Иванов/Vyacheslav Ivanovich Ivanov
(1866―1949)
ロシアの詩人、劇作家、文芸批評家。モスクワ大学、ベルリン大学で古典学を学び、ニーチェの影響のもとに古代の宗教・演劇の研究と詩作に没入し長く西欧にとどまった。詩集『導きの星』(1903)、『透明』(1904)やディオニソス宗教の研究『ギリシアの苦悩する神の宗教』(1904~05)で名声を得て帰国、悲劇『タンタロス』(1905)、詩集『熱き心』(1911~12)や数多くの文芸批評を発表し、ロシア象徴派の第二世代の中心的存在となった。「イワーノフの水曜会」とよばれた彼のサロンは首都の文壇の中心としてにぎわった。革命後も文化部門で活躍、バクー大学で古典学の教授から学長にまでなったが、1924年イタリアへ移住。その後も詩作と著作を続け、ロシアの精神の西欧における代表者として知られた。彼のドストエフスキー研究の成果は後代に大きな影響を与え、今日でも高い価値をもつ。
[安藤 厚]
イワーノフ(Aleksandr Andreevich Ivanov)
いわーのふ
Александр Андреевич Иванов/Aleksandr Andreevich Ivanov
(1806―1858)
ロシアの画家。サンクト・ペテルブルグに生まれ、同地で没した。同地の美術アカデミーで教えていた父親に学び、卒業後、1831年からイタリアに留学し、1858年までローマに滞在した。その間、『マグダラのマリアに現れたキリスト』(1834~1835年。ロシア美術館)と『民衆の前に現れたキリスト』(1837~1857年。トレチャコフ美術館)を描いた。とくに後者は、完成に20年を費やした文字どおりのライフワークで、ロシア絵画史上に一時代を画した。そのテーマはキリスト教信仰の絵画的表現であり、宗教画として理解できるものの、発表当時から「崇高な失敗作」との批判的意見もあった。しかし、そのエスキスのなかには意外と新しい絵画的実験が試みられており、この画家の才能を感じさせる。
[木村 浩]
イワーノフ(Vsevolod Vyacheslavovich Ivanov)
いわーのふ
Всеволод Вячеславович Иванов/Vsevolod Vyacheslavovich Ivanov
(1895―1963)
ソ連の小説家、劇作家。シベリアの小学校教師の家に生まれる。小学校卒業後、印刷工、荷揚げ人夫、船員、サーカス団員など種々の職業につきながら国内各地を放浪、1917年には赤軍に入って戦闘に参加する。15年から作品を発表し、ゴーリキーに激励された。文学グループ「セラピオン兄弟」の有力メンバーになり、国内戦時代の複雑な体験を投影させた中編『パルチザン』(1921)、『装甲列車14‐69号』(1922)で大きな反響をよぶ。後者は27年作者の脚色によりモスクワ芸術座で初演され、ソ連演劇の古典になっている。ほかに回想『ゴーリキーとの出会い』(1947)など。
[中本信幸]
『黒田辰男訳『装甲列車14‐69号』(青木文庫)』
イワーノフ(Georgiy Vladimirovich Ivanov)
いわーのふ
Георгий Владимирович Иванов/Georgiy Vladimirovich Ivanov
(1894―1958)
亡命ロシア詩人。1912年ごろから名を知られるようになり、主としてアクメイズムの雑誌に拠(よ)った。22年にフランスに亡命。かつてのものうい優雅な詩風は苦々しい痛みを混じえて、より簡潔に鋭く刻みあげられる。ロシアの大地からもぎ離された詩人にとって、詩はときおり天から落ちてくるバラであり一瞬の光であった。死の直前数か月間の作品を含む『詩選集』(1980)がもっともよくその全貌(ぜんぼう)を伝えている。
[小平 武]