改訂新版 世界大百科事典 「ツベターエワ」の意味・わかりやすい解説
ツベターエワ
Marina Ivanovna Tsvetaeva
生没年:1892-1941
ロシア・ソ連邦の女流詩人。モスクワ大学の教授で,プーシキン美術館の創設者だったI.V.ツベターエフの娘で,幼年期から詩作をはじめた。女学校を卒業後,ソルボンヌ大学へ留学,フランス古典文学を専攻した。詩集《夕べのアルバム》(1910),《魔法のランプ》(1912)で文壇に登場したが,十月革命に際しては革命に反対する白衛軍の側に立ち,《白鳥の陣営》を発表,1922年に亡命し,はじめプラハで3年ほど暮らしたあと,家族とともにパリに移り,白系亡命者の雑誌に多くの詩を寄稿した。第2次世界大戦がはじまり,ナチスがチェコスロバキアに侵攻するのを見て,38年に帰国,ソ連で再び詩人として再出発しようとしたが,ボードレールやガルシア・ロルカの翻訳などをしただけで,本格的な詩人活動はできぬまま自殺した。しかし,戦後の〈雪どけ〉によって再評価され,ソ連の女流詩人としてはアフマートワと並んで最も才能ゆたかな詩人とされ,次々に遺稿詩集が発表された。《詩人と時代》(1932),《良心の光に照らした芸術》(1932-33)などの評論もある。友人のエレンブルグは〈彼女は芸術の正当性を絶えず疑いながら,しかもそれと同時に,芸術から逃げだすことのできなかった詩人だった〉と評価している。
執筆者:木村 浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報