ツベターエワ(読み)つべたーえわ(英語表記)Марина Ивановна Цветаева/Marina Ivanovna Tsvetaeva

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツベターエワ」の意味・わかりやすい解説

ツベターエワ
つべたーえわ
Марина Ивановна Цветаева/Marina Ivanovna Tsvetaeva
(1894―1941)

ロシアの女流詩人モスクワ大学教授、プーシキン美術館の創設者I・V・ツベターエフの娘で、6歳で詩作を始めたといわれる。女学校卒業後パリ大学に留学。詩集夕べのアルバム』(1910)で出発、同じく『幻灯』(1912)、『二冊の本より』(1913)で詩人としての地歩を固めた。革命に際しては白軍の側にたち、その悲歌白鳥陣営』を発表して1922年に亡命プラハからパリに移って悲惨な生活を送り、夫や子供たちと39年帰国したが、スターリン体制下で夫と娘が逮捕投獄され夫は獄死、息子も独ソ戦で戦死したあと、縊死(いし)した。スターリニズム下では黙殺されたが、濃縮された詩連、意味の遊び、詩想の豊かさにおいて最高の女流詩人で、パステルナークはその芸術を絶賛した。

[工藤正広]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツベターエワ」の意味・わかりやすい解説

ツベターエワ
Tsvetaeva, Marina Ivanovna

[生]1892.10.8. モスクワ
[没]1941.8.31. エラブガ
ロシア,ソ連の女流詩人。詩集『別離』 Razluka (1910) ,『夕べのアルバム』 Vechernii al'bom (11) で象徴主義系譜に連なる詩人として登場,十月革命に際しては『白鳥の陣営』 Belaya staya (17) を書いて白衛軍を賛美し,1922年に国外に亡命したが,亡命生活にも満たされずに 39年帰国,期待した祖国にも幻滅して自殺した。第2次世界大戦後の「雪どけ以来,高く再評価されている。

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