ソン・キジョン(読み)ソン キジョン

20世紀日本人名事典 「ソン・キジョン」の解説

ソン・キジョン
ソン キジョン
Son Ki-jong

07のマラソン選手 元・大韓体育会副会長;元・韓国陸上連盟会長。



国籍
韓国

生年
1912年8月29日

没年
2002年11月15日

出生地
平安北道新義州

学歴〔年〕
養正高等普通学校卒,明治大学(日本)法学科〔’40年〕卒

主な受賞名〔年〕
韓国国民勲章牡丹章,大島鎌吉スポーツ文化賞(第1回)〔’89年〕

経歴
19歳の時、陸上競技才能を認められてソウルの養正高等普通学校に入り、本格的にマラソンに取り組む。1932年初マラソンで2位となり、’35年2時間26分44秒の世界記録をマーク。朝鮮半島が日本の統治下にあった’36年、ベルリン五輪に日本代表として出場、五輪記録の2時間29分19秒で金メダルを獲得。韓国人初の金メダリストとなった。この時、「東亜日報」は胸の日章旗を塗りつぶした写真を掲載、日本の軍部から10ケ月の発行停止処分を受けるという“日章旗末消事件”が起きた。同事件は、韓国人にとって、植民地支配時代の象徴として語り継がれることになる。戦後は、’48年大韓体育会副会長、韓国陸上連盟理事長、’63年同会長、’71年韓国オリンピック委員会(KOC)委員、’79〜85年同常任委員、’81〜88年ソウル五輪組織委員、のちKOC常任顧問を歴任。また’47年にボストンマラソンで優勝した徐潤福らのランナーを育てるなど、韓国陸上界の発展に貢献した。’84年ロス五輪の聖火リレーに参加。’86年にはベルリン大会優勝の記念の兜が50年ぶりに届けられた。地元開催となった’88年ソウル五輪では、組織委員会委員を務めた他、開会式では聖火リレー・トラック走者を務めた。’91年孫基禎公園(ソウル市)がオープンし、同公園附属図書館に収める五輪資料収集に奔走。一方、’56年豊国産業振興社長、’78年東洋実業販売会長を務めた。著書に「我が祖国―我がマラソン」「ア!月桂冠に涙」(日文)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「ソン・キジョン」の意味・わかりやすい解説

ソンキジョン

孫基禎

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