タルマンデレオー(読み)たるまんでれおー(英語表記)Gédéon Tallemant des Réaux

改訂新版 世界大百科事典 「タルマンデレオー」の意味・わかりやすい解説

タルマン・デ・レオー
Gédéon Tallemant des Réaux
生没年:1619-92

フランス文人新教徒の富裕な金融業者の子としてラ・ロシェルに生まれ,一家と共にボルドーに,次いで1634年にはパリに移り住み,その地で没した。38年,のちのレ枢機卿とローマに旅して詩人ボアテュールを知り,おそらくその紹介で有名なランブイエ侯爵夫人のサロン常連になった。またラ・フォンテーヌ,フュルティエールなど多くの文人を友とし,さまざまなサロンにも出入りした。この間に見聞した話をもとにして,57年から,おもに上流社会人物に関する《小伝集》を書きはじめ,2年後にはほぼ完成したといわれるが,その原稿は長く埋もれて1833-35年にはじめて刊行された。偏見にとらわれない,的確で生彩に富んだ記述により,17世紀前半の人物と風俗を知る上で極めて貴重な作品との定評がある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タルマンデレオー」の意味・わかりやすい解説

タルマン・デ・レオー
たるまんでれおー
Gédéon Tallemant des Réaux
(1619―1690)

フランスの回想録作者。ラ・ロシェルの富裕な銀行家の家に生まれ、ボルドー、パリで法律を学ぶ。1638年、後のレス枢機卿(すうききょう)に従ってローマに遊び、帰国後はランブイエ館ほか多くのサロンに出入りして当時の才子たちと交わり、『寸話集』Historiettesの資料を収集した。57年から59年にかけて執筆され、1834年ようやく刊行されたこの『寸話集』は、彼の直接の見聞による17世紀前半のフランス上流社会の生々しい風俗絵巻である。

[渡邊明正]

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