ダンカン(読み)だんかん(英語表記)Isadora Duncan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダンカン」の意味・わかりやすい解説

ダンカン(Isadora Duncan)
だんかん
Isadora Duncan
(1878―1927)

アメリカの女流舞踊家。モダン・ダンスの先駆者といわれる。5月27日サンフランシスコに生まれる。アメリカで不遇であったが、1899年ヨーロッパに渡り、ロンドンで小さなリサイタルを開き認められるようになり、以降パリ、ブダペストベルリン、ロシアなど各地を巡業。伝統的なチュチュトーシューズは肉体を束縛するものとして嫌い、透明な衣装を着けはだしで踊ったことから、当時の社会ではスキャンダルとして受け取られもした。古典バレエの形式を排し、自由な舞踊を提唱、ショパンなどの曲にあわせてなかば即興的に踊り、ギリシアバッカスの巫女(みこ)をまねて激しく、陶酔的に首を後ろに倒して踊ったりした。ディアギレフのロシア・バレエ団などもダンカンに影響されて生まれたといわれる。ベルリン、モスクワに舞踊学校を設立、子供たちの養成にあたった。私生活のうえでも自由奔放で、G・クレイグ、P・シンガー、S・エセーニンなどを恋人とした。1913年に事故で2人の子を失い、本人も27年9月14日ニースのコート・ダジュールで、首に巻いたショールが乗っていた車のタイヤに巻き付くという不慮の事故により49歳で世を去った。著書に自伝『わが生涯』(1927)がある。

[市川 雅]

『小倉重夫・阿部千律子訳『わが生涯 イサドラ・ダンカン』全二巻(1975、77・冨山房)』


ダンカン(Otis Dudley Duncan)
だんかん
Otis Dudley Duncan
(1921―1981)

アメリカの社会学者。テキサス州に生まれる。ルイジアナ州立大学、ミネソタ大学を経て、1949年にシカゴ大学から学位を取得した。シカゴ大学、ミシガン大学、アリゾナ大学などの教授を歴任計量社会学や社会測定の領域で新しい指標や分析方法を導入し開発して、社会学の研究に応用した。とくに個人や家族の社会経済的地位を測定するための社会経済的地位尺度である職業威信尺度や所得・学歴尺度を統合した尺度を作成し、また、社会移動の分析に経路分析の方法を導入して計量的方法を確立するなど、これらの領域での数量的処理に大きな足跡を残した。主著に『アメリカの職業構造』(1969、共著)がある。

[本間康平]


ダンカン(Ronald Duncan)
だんかん
Ronald Duncan
(1914―1982)

イギリスの詩人、劇作家。ケンブリッジ大学卒業後、雑誌『都会人』の編集をしていたが、聖者伝と現代生活の退廃を仮面劇(マスク)と道化狂言(アンチマスク)の技法を使って対照的に描く宗教的詩劇『墓場への道』(1945)で劇作家として登場後、数編の詩劇を中心に翻案物、歌劇の台本などを書き、第二次世界大戦後の詩劇復興の一翼を担った。なお、彼は1939年以後は、南西イングランドのデボンシャーで農業に従事しながら創作活動を続けていた。ほかに長編叙事詩『人間』五部作(1970~74)などの詩集をはじめ、評論、自伝がある。

[中野里皓史]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダンカン」の意味・わかりやすい解説

ダンカン
Duncan, Isadora

[生]1877.5.26. サンフランシスコ
[没]1927.9.14. ニース
アメリカの舞踊家。本名 Angela Duncan。モダン・ダンスの祖といわれる。バレエを学んだが,ギリシア的な自然美を唱え,精神と肉体の解放による自由な舞踊法を編出し,チュニック風の衣をまとい素足で踊った。アメリカでは迎えられなかったが,ヨーロッパ,特にロシアとドイツでは称賛を浴び,新しい時代の旗手として話題をまいた。実生活も奔放で,ロシアの詩人 S.A.エセーニンの最初の妻であり,A.ロダン,R.ワーグナーらとも親交があった。 E.クレイグ,P.シンガーとの間に1人ずつ子供をもうけたが,2人とも自動車事故で失い,みずからも首に巻いた長いスカーフが乗っていたスポーツカーの車輪に巻きつくという偶発事故で死んだ。著書『わが生涯』 My Life。

ダンカン
Duncan, Adam, 1st Viscount Duncan

[生]1731.7.1. パース
[没]1804.8.4. ノーサンバーランド
イギリスの海軍軍人,提督。 1746年海軍に入る。 93年対フランス戦開始のとき海軍中将。 95年対オランダ戦で北海作戦を指揮してオランダ艦隊をテクセルに封鎖。さらに 97年 10月 11日オランダ海軍提督デ・ウィンテルの艦隊をテクセル付近で壊滅させアイルランド侵入計画を失敗させた。

ダンカン
Duncan, Ronald(Frederick Henry)

[生]1914.8.6. ソールズベリ
[没]1982.6.3. バーンステーブル
イギリスの詩人,劇作家。代表作『この墓場への道』 This Way to the Tomb (1945) のほか,B.ブリテンのオペラ『ルクリーシャの凌辱』 (46) などのリブレット (台本) も書いている。イギリス舞台劇団の創設者の一人。

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