フォーキン(読み)ふぉーきん(英語表記)Михаил Михайлович Фокин/Mihail Mihaylovich Fokin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォーキン」の意味・わかりやすい解説

フォーキン
Fokine, Michel

[生]1880.4.23. ロシア帝国,サンクトペテルブルグ
[没]1942.8.22. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
ロシア生まれのアメリカ合衆国の舞踊家,振付師。本名 Mikhail Mikhailovich Fokine。「20世紀のジャン・ジョルジュ・ノベール」といわれた近代バレエの創始者の一人。また,古典バレエの改革に貢献した。初めマリインスキー劇場バレエ団ダンサーであったが,『瀕死の白鳥』や『アルミードの館』を振り付け,振付師として名声を得た。1909年にセルゲイ・パブロビッチ・ディアギレフバレエ・リュスに参加して,『レ・シルフィード』『カルナバル』『シェエラザード』『火の鳥』『ペトルーシカ』など,同バレエ団の主要な作品を振り付けた。その後アメリカに渡りニューヨークに定住,1932年帰化して舞踊教師・振付師として活躍。ロシア時代からアメリカの舞踊家イサドラ・ダンカンの影響を強く受け,形式化したアンシェヌマンとパのつながり)を排し,慣習的なマイム身ぶりを理論づけ,群舞の地位を高めることによってバレエと音楽・演劇美術との緊密な結合を実践した(→パ・ダクシオン)。また爪先で踊る技法に固執せず,かかとで踊るギリシア風の踊りを取り入れたり,男性舞踊手の地位をバレリーナと同等あるいはそれ以上に高めた業績は高く評価される。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォーキン」の意味・わかりやすい解説

フォーキン
ふぉーきん
Михаил Михайлович Фокин/Mihail Mihaylovich Fokin
(1880―1942)

ロシア出身の舞踊家、振付者。ペテルブルグに生まれ、同地の帝室舞踊学校卒業。ダンサーとして出発したが、早くから振付けの才能を示し、パ・ドブレだけで踊るモダン・バレエの傑作瀕死(ひんし)の白鳥』(1905)、『ショピニアーナ』(1907。のちに『レ・シルフィード』と改名)を発表。1909年、ディアギレフのロシア・バレエ団に主席振付者として参加し、『カルナバル』『シェヘラザード』『火の鳥』(ともに1910)、『バラの精』『ペトルーシュカ』(ともに1911)、『ダフニスクロエ』(1912)などを振付けた。彼はバレエの改革に意欲的で、モダン・バレエのマニフェスト(宣言)として「五つの原則」を主張、因習的なミーム(身ぶり)の使用の廃止、コール・ド・バレエの表現性の回復、テーマの重視などを提案した。18年以後はロシアに帰らず、おもにアメリカで振付けの仕事をし、ニューヨークで没した。今日でも多くの作品が各国のバレエ団で上演されている。

[市川 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例