石井漠(読み)イシイバク

デジタル大辞泉 「石井漠」の意味・読み・例文・類語

いしい‐ばく〔いしゐ‐〕【石井漠】

[1886~1962]舞踊家秋田の生まれ。本名忠純。帝国劇場歌劇部1期生。現代舞踊発展尽力。紫綬褒章受章。

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精選版 日本国語大辞典 「石井漠」の意味・読み・例文・類語

いしい‐ばく【石井漠】

  1. 舞踊家。本名、忠純。秋田県生まれ。日本人に適した自由舞踊を唱え、創作舞踊の発展につとめた。明治一九~昭和三七年(一八八六‐一九六二

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「石井漠」の解説

石井 漠
イシイ バク


職業
舞踊家

専門
創作バレエ

本名
石井 忠純

別名
前名=石井 林郎

生年月日
明治19年 12月25日

出生地
秋田県 山本郡下岩川村(三種町)

学歴
秋田中中退

経歴
日本の創作舞踊の先覚者。明治44年帝劇歌劇部第1期生になり、G.V.ローシーからダンス・クラシックを学び、石井林郎の名で帝劇オペラに出演した。大正5年退団し、山田耕筰の移動劇団「新劇場」に参加、自分の創作舞踊を「舞踊詩」と命名して発表するが理解されなかった。11年〜15年海外で真価を問うべく欧米巡業、成功をおさめ、“ニジンスキーに匹敵する”と評された。昭和3年東京・自由が丘に石井漠舞踊研究所を設立石井みどり他多くの後進を育て創作舞踊を根づかせた。全日本芸術舞踊協会(現代舞踊協会)初代会長。代表作に「山に登る」「人間釈迦」など。

受賞
文部大臣賞〔昭和29年〕「人間釈迦」

没年月日
昭和37年 1月7日 (1962年)

家族
妹=石井 小浪(舞踊家),長男=石井 歓(作曲家),三男=石井 真木(作曲家),娘=石井 カンナ(舞踊家),孫=石井 淳(作曲家)

親族
姪=石井 綾子(舞踊家),長男の妻=石井 はるみ(舞踊家)

伝記
舞踊家 石井漠の生涯―ノンフィクション講座 緑川 潤 著(発行元 無明舎出版 ’06発行)

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20世紀日本人名事典 「石井漠」の解説

石井 漠
イシイ バク

大正・昭和期の舞踊家



生年
明治19(1886)年12月25日

没年
昭和37(1962)年1月7日

出生地
秋田県下岩川村(現・山本郡山本町下岩川)

本名
石井 忠純

別名
前名=石井 林郎

学歴〔年〕
秋田中中退

主な受賞名〔年〕
文部大臣賞〔昭和29年〕「人間釈迦」

経歴
日本の創作舞踊の先覚者。明治44年帝劇歌劇部第1期生になり、G.V.ローシーからダンス・クラシックを学び、石井林郎の名で帝劇オペラに出演した。大正5年退団し、山田耕筰の移動劇団「新劇場」に参加、自分の創作舞踊を「舞踊詩」と命名して発表するが理解されなかった。11年〜15年海外で真価を問うべく欧米巡業、成功をおさめ、“ニジンスキーに匹敵する”と評された。昭和3年東京・自由が丘に石井漠舞踊研究所を設立、石井みどりらほか多くの後進を育て創作舞踊を根づかせた。全日本芸術舞踊協会(のち現代舞踊協会)初代会長。代表作に「山に登る」「人間釈迦」など。

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百科事典マイペディア 「石井漠」の意味・わかりやすい解説

石井漠【いしいばく】

舞踊家。帝国劇場歌劇部第1期生。イタリア人G/V.ローシーにバレエを,三浦環らに音楽を学ぶ。1916年小山内薫山田耕筰の〈新劇場〉に参加し,自らの〈舞踊詩〉を発表。1922年―1926年欧米を巡り,ダンカンに共鳴して創作舞踊を目ざし,現代舞踊の発展に尽力した。1928年研究所を設立,多くの門下生を養成した。代表作は《山を登る》(1932年),《人間釈迦》(1953年)など。作曲家の石井歓〔1921-2009〕,石井真木〔1936-2003〕は長男と三男。
→関連項目崔承喜谷桃子

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改訂新版 世界大百科事典 「石井漠」の意味・わかりやすい解説

石井漠 (いしいばく)
生没年:1886-1962(明治19-昭和37)

舞踊家。本名忠純。秋田に生まれる。日本における洋舞の先覚者。1911年創設の帝国劇場歌劇部第1期生。イタリア人G.V.ローシーからダンス・クラシック(古典バレエの基礎),H.ベルクマイスター,三浦環から音楽を学び,石井林郎の名で帝劇オペラに出演した。16年ヨーロッパから帰国していた小山内薫,山田耕筰の〈新劇場〉に参加,石井漠の名で〈舞踊詩〉を発表した。17年,浅草オペラ旗揚げに尽力,大衆向けの喜歌劇を日本館で伊庭孝らと上演した。22年から26年まで義妹小浪を同伴し欧米を巡演,ダルクローズ,ダンカンらのフリーダンスに啓発され,彼独自の創作舞踊を披露し現代舞踊の発展につとめた。28年東京の自由が丘に石井漠舞踊研究所を設立,石井みどりほか多数の門下生を育て,眼を患いながらも数多くの作品を残した。代表作に《山を登る》(1932),《人間釈迦》(1953)など。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石井漠」の意味・わかりやすい解説

石井漠
いしいばく

[生]1886.12.25. 秋田,下岩川
[没]1962.1.7. 東京
舞踊家。本名石井忠純。日本の現代舞踊の父といわれる。文学を志して上京したが,のちに石井林郎の芸名で帝国劇場付属管弦楽部員,同歌劇部第1期生となり,ジョバンニ・V.ローシーにバレエを学ぶ。山田耕筰と「純舞踊」運動を提唱,1916年には小山内薫,山田耕筰の「新劇場」に参加。1922年義妹石井小浪とともに渡欧,1925年アメリカ合衆国に渡り,翌 1926年帰国。1928年東京都目黒区自由ヶ丘に石井漠舞踊研究所を開き,150余の創作舞踊を発表。1938年4月石井漠舞踊学校(10月に石井漠舞踊体育学校と改称)を開設して,チェ・スンヒ(崔承喜),谷桃子,石井みどりほか多くの門下生を養成した。1954年東京新聞社の舞踊芸術賞,1955年紫綬褒章を受ける。代表作に,大作『甦る新世界』(1933)や,晩年視力をほとんど失ってから上演した『人間釈迦』(1953,芸能選奨文部大臣賞)などがある。長男石井歓,三男石井眞木は作曲家として活躍。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石井漠」の意味・わかりやすい解説

石井漠
いしいばく
(1886―1962)

舞踊家。本名忠純。秋田県生まれ。1911年(明治44)帝国劇場歌劇部1期生となり、G・V・ローシーについて古典バレエを学ぶ。15年(大正4)に独立、小山内薫(おさないかおる)、山田耕筰(こうさく)の支援のもとに舞踊詩『物語』『日記の一頁(ページ)』を発表。宝塚少女歌劇の洋舞教師を経て、浅草日本館で浅草オペラの旗揚げ公演を行った。22年から4年間、義妹石井小浪(こなみ)と欧米各地を公演。帰国後は、崔承喜(さいしょうき/チェスンヒ)、石井みどりら多くの後進を育成し、創作舞踊の発展に努めた。代表作『人間釈迦(しゃか)』は、53年(昭和28)芸術選奨文部大臣賞を受賞。著書に『舞踊ざんまい』(1947)などがある。

[市川 雅]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石井漠」の解説

石井漠 いしい-ばく

1886-1962 大正-昭和時代の舞踊家。
明治19年12月25日生まれ。石井歓,石井真木の父。明治44年創設の帝劇歌劇部第1期生で,ローシーにまなぶ。大正5年新劇場にくわわり,11年から義妹石井小浪と欧米各地で公演。帰国後東京自由ケ丘に舞踊研究所を設立し,舞踊詩の創作や後進の育成につくした。昭和37年1月7日死去。75歳。秋田県出身。本名は忠純。

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367日誕生日大事典 「石井漠」の解説

石井 漠 (いしい ばく)

生年月日:1886年12月25日
大正時代;昭和時代の舞踊家
1962年没

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