メキシコのメキシコ州トルカ盆地にある祭祀(さいし)センターの大遺跡。大小の基壇群がテテペトルとよばれる丘の上に建てられ、三方が急な傾斜で、北方には巨大な防壁があるため、城塞(じょうさい)的な機能ももっていたらしい。紀元後650年ごろから居住が始まり、テオティワカンの衰退後におこった諸祭祀センター間の対立や抗争が続くなかで、テオチチメカ、オトミ、マトラツィンカなどの諸民族が次々に居住した。建物には、「タルー」とよばれる傾斜した壁その他にテオティワカンの影響がみられ、カルプラルパン、テペアプルコの建造物と共通の要素もある。1255年以後、マトラツィンカ文化の中心の一つとして重きをなしたが、トルカ盆地にはほかにも集落があってついに統一は成し遂げられなかった。トルカ盆地は1476年アステカ人に征服され、テオテナンゴも彼らの手に落ちた。
[増田義郎]