テッツェル(読み)てっつぇる(英語表記)Johann Tetzel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「テッツェル」の意味・わかりやすい解説

テッツェル
てっつぇる
Johann Tetzel
(1465―1519)

ドミニコ会士。1504年より贖宥(しょくゆう)状(免罪符)販売の説教者となる。彼が有名となるのは、ひとえに17年に大司教アルプレヒトにマグデブルク大司教領内での贖宥状販売を委託されたことによる。彼は、ザクセン選帝侯の領地境のすぐ向こう側で贖宥状販売を行い、ザクセンの領民たちをひきつけた。ザクセン選帝侯領内では贖宥状販売が禁止されていたからである。ルターは、自分の教区民が悔い改めの行為をせず、金銭によって安易に魂の救いが得られるとしたことに宗教的危機を感じて「九十五か条の論題」を発表した。これがドイツ宗教改革の発端となるが、テッツェルは19年ライプツィヒ討論会の開催中に死去した。

[森田安一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テッツェル」の意味・わかりやすい解説

テッツェル
Tetzel, Johann

[生]1465頃.ピルナ
[没]1519.8.11. ライプチヒ
ドイツのドミニコ会士。ライプチヒで学び,1509年ポーランドの宗教裁判官。 16年ローマの聖ペテロ大聖堂再建のため免償 (免罪符) が発行された際,マリテブルク地方担当官となって,各地で雄弁,過激な説教活動を行い,民衆に免償を買うようにすすめたが,金銭の喜捨のみによって煉獄霊魂を救うことができるという俗信を利用して大いに成績を上げた。 17年春のユーテルボーグでの説教はルターの 95ヵ条を生む機縁となり,両者の間に激しい論争を生んだ。

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