デザート文化(読み)デザートぶんか

改訂新版 世界大百科事典 「デザート文化」の意味・わかりやすい解説

デザート文化 (デザートぶんか)

北アメリカ西部のグレート・ベースン地方を中心に乾燥地帯に分布した先史時代文化。Desert Cultuveを砂漠文化と直訳されることもある。約1万年前から,地域によってはヨーロッパ人進出時まで継続した。グレート・ベースン地方のショショニ族パイユート族などの祖先担い手であったとされる。遺跡洞窟や岩陰が多い。主要な文化要素はかご細工,紐,網,サンダル,小型尖頭器,石皿,磨石,貝製ビーズなどで,植物性遺存体も検出されている。この文化を保持していたのは,移動性に富み小集団をなす採集狩猟民で,乾燥地のきびしい自然条件の下で,野生植物の種子マツの実,小型動物などを最大限に利用していたと解される。パレオ・インディアン文化とは時期的に一部かさなるが,分布域の違い,植物性食料源への大きな依存,現生動物の狩猟などの点で後者とは異なる。デザート文化には,南西部のコチーズCochise文化,メソアメリカのインフィエルニヨInfiernillo文化,エル・リエゴEl Riego文化をも含むとされる。これらのデザート文化を背景に新大陸の植物栽培が始まったことが,メキシコのタマウリパス地方,プエブラ地方の長期的な調査で明らかにされており,野生イネ科植物の採集・利用から栽培へと移行する過程を理解するうえで,重要な鍵をにぎっている。おもな遺跡に,デンジャー洞窟ユタ州),バット洞窟ニューメキシコ州),フンボルト洞窟ネバダ州),トゥラロッサ洞窟(ニューメキシコ州)などがある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のデザート文化の言及

【アメリカ・インディアン】より

…種子を効率的に〈収穫〉するために,ダムを築き,そのダムを決壊させて広範囲に灌漑し,次期の収穫を確保することも行われていた。この地方を特徴づける植物利用法は,先史学的にはデザート文化に対比できる。季節的,規則的な植物利用のなかから,最初の植物栽培が出現したのではないかと考えられている。…

【パイユート族】より

…社会集団の単位も小さく,乾季(夏)には数家族から成る小バンドを,種子採集期の秋から冬にかけてはやや大きなバンドを形成していた。 このような生業形態をJ.D.ジェニングズは〈デザート文化伝統〉と命名し,約1万年前から歴史時代まで継続していたと考えた。そして,デザート文化伝統を基盤に新大陸特有の農耕が成立したとみなし,パイユート,ショショニなどのグレート・ベースン地方の諸族をこの文化の最近の担い手と解釈している。…

※「デザート文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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