デターディング(読み)でたーでぃんぐ(英語表記)Sir Henri Wilhelm August Deterding

日本大百科全書(ニッポニカ) 「デターディング」の意味・わかりやすい解説

デターディング
でたーでぃんぐ
Sir Henri Wilhelm August Deterding
(1866―1939)

オランダに生まれイギリスに帰化した実業家。自らの経歴に似たオランダ、イギリスの両国にまたがる多国籍企業、ロイヤル・ダッチシェル・グループの創設者として有名。オランダの貿易企業に入り、東南アジア駐在員として同地の産油事業を知ったのちロイヤル・ダッチ・ペトロリウムに移った。1900年社長に就任、当時世界市場をその支配下に収めようとしていたスタンダード石油に対抗するため、共通の立場にあったイギリスの石油企業、シェル・トランスポートの社長、マーカス・サミュエルやロスチャイルド家と談合し、03年アジアティック石油会社を、4年後には前述の多国籍企業を創設、その経営にあたった。その後市場の拡大を求めて各地に進出するが、油田施設を接収された腹いせから反ソ的となり、ナチス台頭とともに、その支持者となったことでも知られる。1902年ナイトに叙せられた。

[小林袈裟治]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デターディング」の意味・わかりやすい解説

デターディング
Deterding, Sir Henri Wilhelm August

[生]1866.4.19. オランダ,アムステルダム
[没]1939.2.4. スイス,ザンクトモリッツ
オランダの石油王。1896年にロイヤル・ダッチ・ペトロリアムに入社し,1902年には総支配人として頭角を現した。翌 1903年ロスチャイルド家から資本を導入することを計画し,イギリスのシェル・トランスポート・アンド・トレーディングとともにアジア・ペトロリアムを設立して石油販売トラストを結成。さらに 1907年に両社を資本合同するとともに,オランダにバターフセ・ペトロリアム,イギリスにアングロ=サクソン・ペトロリアム(のちシェル・ペトロリアムに合併)の 2持株子会社をそれぞれ設立,2国籍をもつ多国籍企業ロイヤル・ダッチ・シェル・グループを形成し,国際石油業界の指導的存在として腕をふるった。第2次世界大戦中はナチスの支援者といわれた。(→ロイヤル・ダッチ・シェル

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報