デホーホ(英語表記)Pieter de Hooch(Hoogh)

改訂新版 世界大百科事典 「デホーホ」の意味・わかりやすい解説

デ・ホーホ
Pieter de Hooch(Hoogh)
生没年:1629-84

オランダの風俗画家。ロッテルダム生れ。ハールレムで風景画家ベルヘムNicolaes Berchemに師事したのちデルフトに移住し,1655年同市の画家組合に入会。最初は居酒屋や休息する兵士情景から出発したが,やがて暖かい陽光に満たされた中流家庭の静謐な室内や中庭における母子や女中を主題とする新しい種類の上品な風俗画を,3歳年下のフェルメールと競合しつつ創始した。今日通例〈デルフト派〉と呼ばれる彼らの絵は,遠近法の巧みな駆使と光の効果的な描写によって以前の風俗画には見られない自然な室内空間を現出させている。今日ではフェルメールの名声の陰に隠れがちであるが,この新しい空間表現の確立に際してはおそらくデ・ホーホのほうが一歩先んじていたと考えられる。60年代初頭にアムステルダムに移住してからの作品は,しだいに質素で親密な味わいを失い,流行に従った華美な歓楽的風俗の描写に向かった。経済的には生涯不遇で,アムステルダムの精神病院で死去
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百科事典マイペディア 「デホーホ」の意味・わかりやすい解説

デ・ホーホ

オランダの画家。ロッテルダム生れ。フェルメールとともにオランダ室内画を代表する画家。穏やかな色調と柔らかい光の描写によって静謐(せいひつ)で明るい室内や中庭の情景を活写した。ハーグ,アムステルダムでも活躍したが,《デルフトの中庭》(1658年,ロンドン,ナショナル・ギャラリー蔵)など主要作の多くはデルフト時代(1655年―1661年ころ)に描かれている。
→関連項目テルボルフメツー

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世界大百科事典(旧版)内のデホーホの言及

【フェルメール】より

…ユトレヒトのカラバッジョ派,とりわけテルブリュッヘンの影響を示す大きな色斑で構成された神話画・宗教画を手がけたのち,56年ほとんど唯一の確実な年記作品《娼家にて》で風俗画に転向。次いで50年代末から60年代前半に,風俗画史上初めて登場人物の挙動と同等もしくはそれ以上の関心を陽光に満たされた室内空間の自然で正確な描出に注いだ同輩のデ・ホーホと競合しつつ,日常の行為に没頭する単身もしくは少数の人物(とくに女性)をあらわした《牛乳を注ぐ女中》《手紙を読む女》《真珠のネックレス》等の一連の傑作によって,独自の絵画世界を確立した。 彼らの周辺には一群の追随者(〈デルフト派〉と呼ぶこともある)が生まれたが,フェルメールの作品は,画面の幾何学的とすら呼べる緊密な平面的秩序と空間の三次元性との完璧な均衡,円柱や釣鐘にたとえられるような単純で堅牢な形態とモニュメンタリティを備えた人物像,きわめて自然でいてしかも現実を超えた夢想的世界を現出させる精妙な光の描写において,他の追随を許さない。…

※「デホーホ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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