デラクルス(英語表記)Apolinario de la Cruz

改訂新版 世界大百科事典 「デラクルス」の意味・わかりやすい解説

デ・ラ・クルス
Apolinario de la Cruz
生没年:1815-41

フィリピンの宗教運動指導者。通称はエルマノ・プーレHermano Pule。ルソン島タヤバス州(現,ケソン州)ルクバン町生れ。15歳ころ修道会士を志してマニラへ出たが,修道会の人種差別で志を果たせなかった。そこで,フランシスコ会経営の病院で召使を務めつつ教義を習得。1832年ころサン・ホセ信徒団Cofradía de San Joséを結成した。植民者スペイン人や中国系商人が富の力で免罪を得,天国への道を保証されている状況に反発して,ひたすらな〈祈り〉で天国を追求した。信徒団はやがて,タヤバス,ラグナ,バタンガス3州に急速に拡大した。これに対してスペイン当局は,反逆的政治集団,異端集団の名目で信徒団弾圧を開始した。信徒団はこの弾圧を,〈最後の審判の日〉到来の徴と了解して,41年10月,〈反キリスト〉たる当局との闘いに蜂起した。しかし蜂起は短時日で無惨な敗北に終わり,デ・ラ・クルスも処刑された。〈サン・ホセ信徒団の反乱〉と呼ばれるこの蜂起は,フィリピンのフォーク・カトリシズム文脈で構築された反植民地闘争の典型であった。信徒団員が祈りの最後に唱和したラテン語文句〈終りなき世界をper omnia saecula saeculorum〉から,部外者はこの信徒団を別称コロルムと呼んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デラクルス」の意味・わかりやすい解説

デ・ラ・クルス
De la Cruz, Apolinario

[生]1815. ルソン,タヤバス
[没]1841
フィリピンのキリスト教の教団組織者,反スペイン蜂起指導者。独学聖書を読み,カトリックの修道会に入ろうとしたが,先住民であるため入会を拒絶された。そのため先住民の「サン・ホセ信徒団」を組織し,その勢力は急速に広まった。カトリック教会はこれを正式団体として認めないうえに種々迫害を加えたので,信徒団は 1840年に蜂起した。最初は優勢であったが,まもなく弾圧され,デ・ラ・クルスは敗死した。

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