日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
デーリー・テレグラフ事件
でーりーてれぐらふじけん
Daily Telegraph Affair
ドイツ帝国の憲政の危機を招いた事件。ウィルヘルム2世はイギリス、ドイツ間の友好関係の助長のために、イギリスの友人との談話を勧めに応じて発表しようとし、その草稿の吟味を帝国宰相ビューローに依頼したが、宰相はそれを下僚に任せたまま、自分は通読もせずに皇帝に返し、それが1908年10月28日のイギリス新聞『デーリー・テレグラフ』に掲載された。しかしこの皇帝談話は不見識であるとして、逆にイギリスで不興を買い、ドイツ国内では皇帝の個人的支配の典型的な現れとみなされて、世論の総批判を受けた。ビューローは帝国議会で皇帝をかばったが、しかし政治に対する皇帝のかかわり方が変わらなければ、今後任務を遂行しえないことを強調したため、皇帝は「憲法に基づく責任を遵守し、帝国政策の恒常安定を保証する」ことを表明しなければならなかった。皇帝のビューローに対する恨みは残り、翌年の宰相罷免につながったが、この危機から憲政上の成果はなにも生じなかった。
[岡部健彦]