改訂新版 世界大百科事典 「トゥホルスキー」の意味・わかりやすい解説
トゥホルスキー
Kurt Tucholsky
生没年:1890-1935
ドイツの作家,ジャーナリスト。ベルリンのユダヤ商人の家に生まれ,大学で法律を学んだが,入学前から創作を試み,ユーモラスな青春小説《ラインスベルク--恋する人のための絵本》(1912)で文名をあげた。しかし彼の真価は第1次世界大戦終結後,ベルリンの週刊誌《ウェルトビューネDie Weltbühne》を中心とする文筆活動で発揮される。本名のほかにKasper,Hauserなど四つの筆名を使い分けて,文学寄席(キャバレー)のためのシャンソンや風刺的短詩から書評や劇評,時事評論,小咄や小説さらに紀行文と,広い分野に筆をふるった。政治的立場は初期の独立社会民主党に同調する急進的な社会主義で,反戦ヒューマニズムを基調とする。批判論難のおもな対象は,人間抑圧的性格を大戦後も温存する官僚機構,軍隊,司法,市民の俗物根性であり,とくに排外的愛国主義であったが,ベルリン方言の特徴を巧みに生かした軽妙で辛辣な語り口がその論旨と魅力的に支えあって,人気を博した。1924年以降は在パリ通信員,26年末に主宰者急死のため《ウェルトビューネ》の編集を引き受け,翌年オシエツキーCarl von Ossietzky(1889-1938)に引き継いだ。この10ヵ月間を除き故国にはもはや帰らず,29年にはスウェーデンに移住する。ナチスによる禁書や国籍剝奪の措置に先立ち,32年末には筆を折り,35年暮れに服毒自殺。評論をまとめた《五馬力で》(1928),《モナ・リザの微笑》(1929),ハートフィールドの写真モンタージュにテキストを付けた《ドイツ,世界に冠たるドイツ》(1929),ほかに紀行《ピレネーの書》(1927),小説《グリプスホルム城》(1931)などがある。
執筆者:藤本 淳雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報