日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥルク条約」の意味・わかりやすい解説
トゥルク条約
とぅるくじょうやく
Turun rauha フィンランド語
1743年、スウェーデンとロシアとの間に結ばれた、フィンランド南東部のロシアへの割譲に関する条約。オーボ条約Åbofreden(スウェーデン語)ともいう。スウェーデンでは大北方戦争により絶対王権が崩壊したのち、「自由の時代」とよばれる先駆的な議会主義政治が行われた。重商主義の徹底と対ロシア報復主義を唱える「ハット党」は、議会の多数を占めて政権をとると、41年失地回復を目ざし対ロシア戦に突入した。士気のあがらぬスウェーデン軍は敗走し、休戦が結ばれた。モスクワに休戦延長の交渉に行った使者は、ロシア女帝エリザベータによる、フィンランド史上初めての、独立についての宣言書を持ち帰った。休戦が終わり戦闘が再開されると、ロシア軍はスウェーデン軍を圧倒し、フィンランドを占領した。圧倒的優位にたったロシア側は、フィンランドの併合、女帝の血縁者のスウェーデン王位即位をもくろむようになり、フィンランド独立論は立ち消えとなった。スウェーデン議会が後者を承認すると、ロシア側も譲歩し、フィンランドは南東部を除いてスウェーデンに返還された。この条約では、大北方戦争後のニスタット条約でロシアによる内政干渉を許す解釈の余地のあった第7項は再述されなかったが、これに関しては双方とも都合のよい解釈をした。
[玉生謙一]