とことんやれ節(読み)トコトンヤレブシ

デジタル大辞泉 「とことんやれ節」の意味・読み・例文・類語

とことんやれ‐ぶし【とことんやれ節】

明治初年に流行した「とことんやれとんやれな」という囃子詞はやしことばを添える俗謡明治元年(1868)官軍東征のとき、参謀品川弥二郎歌詞を作り、大村益次郎一説には祇園芸妓君尾)が節をつけて歌わせたといわれる。とんやれ節。

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精選版 日本国語大辞典 「とことんやれ節」の意味・読み・例文・類語

とことんやれ‐ぶし【とことんやれ節】

  1. 明治初年の軍歌。のち流行歌となる。「宮さん宮さん」で始まり、最後に「とことんやれとんやれな」というはやしことばがつく。「宮さん」とは東征大総督有栖川宮のこと。明治元年(一八六八)官軍東征のとき、奥羽鎮撫総督参謀品川彌二郎が作詞し、大村益次郎(一説には祇園芸者君尾)が作曲して、調練太鼓に合わせてうたったものに始まるという。とんやれぶし。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「とことんやれ節」の意味・わかりやすい解説

トコトンヤレ節
とことんやれぶし

明治の流行歌。作詞・作曲者未詳。『トンヤレ節』ともいう。1868年(慶応4)京都や大津で、「宮さん宮さんお前の前に、ちらちらするのはソラ何や、あれは朝敵征伐せいとの錦(にしき)の御旗(みはた)を知らないか、とことんやれ」と歌われた。この歌は討幕の東征軍とともに東京へも伝わったが、当時の旋律は現在のような西洋風ではなかったと推測される。

 ところが1885年(明治18)ギルバートサリバンオペレッタミカド』がロンドンで初演され、欧米諸国で大流行する。なかでもアメリカ国民は、その一節に取り入れられた「宮さん宮さん……」を愛唱した。日本でこの歌が話題となるのは、『ミカド』の改定版が横浜や神戸で上演された87年以降のことである。なお作詞は品川弥二郎(やじろう)、作曲は祇園(ぎおん)の芸妓(げいぎ)君尾とか大村益次郎(ますじろう)とかいわれているが、真偽のほどはさだかでない。

[倉田喜弘]

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世界大百科事典(旧版)内のとことんやれ節の言及

【品川弥二郎】より

…長州藩士分の弥市右衛門の子として生まれ,吉田松陰の松下村塾に学び,禁門の変などで尊攘派の志士として活躍した。鳥羽・伏見の戦で官軍が歌った〈トコトンヤレ節〉の作詞者としても有名である。維新後は明治政府に仕え,1870年(明治3)ドイツに留学し,そのままドイツ公使館に勤めた。…

※「とことんやれ節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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