サリバン(読み)さりばん(英語表記)Harry Stack Sullivan

デジタル大辞泉 「サリバン」の意味・読み・例文・類語

サリバン(Arthur Seymour Sullivan)

[1842~1900]英国の作曲家。台本作家ギルバートと組んで多くのコミックオペラを作曲。代表作に「ミカド」など。

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精選版 日本国語大辞典 「サリバン」の意味・読み・例文・類語

サリバン

  1. [ 一 ] ( Sir Arthur Seymour Sullivan サー=アーサー=シーモア━ ) イギリスの作曲家。教会オルガン奏者をつとめ、のち作曲家として活躍。台本作家ギルバート(Sir William Schwenck Gilbert)と組んで数々のオペレッタを作曲した。作品「ミカド」「軍艦ピナフォア」など。(一八四二‐一九〇〇
  2. [ 二 ] ( Louis Henry Sullivan ルイス=ヘンリー━ ) アメリカシカゴ派の建築家。シカゴの高層建築を主として設計。「形態は機能に従う」との基盤に立ち、一九世紀アメリカ建築に大きな影響を与えた。ライトの師。代表作にシカゴのオーディトリアム‐ビル、バッファローのギャランティ‐ビルがある。(一八五六‐一九二四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サリバン」の意味・わかりやすい解説

サリバン(Harry Stack Sullivan)
さりばん
Harry Stack Sullivan
(1892―1949)

アメリカの精神医学者。ニューヨーク州に生まれる。1917年にシカゴ医学校で医学博士の学位をとり、各地の病院勤務のあとメリーランド大学で教える。病院勤務中に統合失調症精神分裂病)患者の処置に成功して、臨床医として有名になった。フロム、ホーナイとともに新フロイト派に属するといわれているが、A・マイヤー、G・H・ミード、サピア、R・F・ベネディクトらの影響が強く、人間関係を重視する社会心理的パーソナリティーの理論をたてた。生前に発表された著書は『現代精神医学の概念』(1947)だけで、その他の著作は死後に彼のノートをもとに編集されたものである。

[宇津木保]


サリバン(Louis Henri Sullivan)
さりばん
Louis Henri Sullivan
(1856―1924)

アメリカの建築家。ボストンに生まれ、マサチューセッツ工科大学に学ぶ。卒業後はパリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)への短期留学を挟んで、おもにシカゴで活動を続け、のちにシカゴ派の中心人物となった。シカゴでは、初めダンクマール・アドラーDankmar Adler(1844―1900)のもとで働いたが、まもなくその手腕を買われて、1881年にはアドラー‐サリバン共同建築事務所がつくられた。デザイン分野にその才能を発揮したが、シカゴのオーディトリアム・ビル(1889)は初期の代表作として知られる。サリバンならではの繊細にして躍動的な装飾は、このあと、セントルイスのウェインライト・ビル(1891)、シカゴ博覧会における交通館(1893)、バッファローのギャランティ・ビル(1895)と、個性的な作例を次々に生み出してゆく。彼の主張は「形態は機能に従う」ということばとともに、機能主義的な側面が強調されるが、弟子フランク・ロイド・ライトがくみ取った、詩的で有機的な空間意識を忘れてはならない。晩年は恵まれず、地方の中・小規模の仕事が多かったが、高い完成度を示した。

[宝木範義]

『竹内大・藤田延幸訳『サリヴァン自伝』(1977・鹿島出版会)』


サリバン(Sir Arther Sullivan)
さりばん
Sir Arther Sullivan
(1842―1900)

イギリスの作曲家、指揮者。ロンドン生まれ。オルガン奏者、教育者としても活躍したが、なによりもイギリス独自の様式を示すコミック・オペラの作曲家として知られる。とくに1871年の『セスピス』以後、台本作家ギルバートと組んだ一連の作品で圧倒的な人気を得た。その代表作に『軍艦ピナフォー』(1878)、『ペンザンスの海賊』(1879)、『ミカド』(1885)、『ゴンドリエ』(1889)など、また正歌劇に『アイバンホー』(1891)がある。

[関根敏子]

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改訂新版 世界大百科事典 「サリバン」の意味・わかりやすい解説

サリバン
Harry Stack Sullivan
生没年:1892-1949

アメリカの代表的な精神医学者。新フロイト派ないし文化学派に属し,正統的な精神分析が生物学的要因を重視したのに対して,社会的,文化的要因の影響を重視し,〈対人関係の学〉としての精神医学を作り上げた。アイルランド系移民の子として,ニューヨーク州で生まれた。ワシントンでC.トンプソンの教育分析を受け,1923年から30年まで,シェパード・アンド・イノック・プラット病院で,当時としてはきわめて先駆的な,統合失調症に対する積極的な精神療法を推し進めた。30年,ニューヨークで開業し,強迫神経症を中心とした診療に従事した。38年には雑誌《精神医学》を主宰し,43年にはウィリアム・アランソン・ホワイト精神分析研究所を設立して,教育と研究に専念した。社会科学,文化人類学との交流も深め,広範な活動をしたが,ユネスコの国際会議出席中,パリで客死した。

 彼の理論の基本的特徴は対人関係の意義を重視した点にあり,パーソナリティの形成や精神障害と幼児期の母子間の共感empathyや不安の関係を指摘した理論,医師は患者を客観的対象として観察することはできず,人間関係の中で相互に影響し合いながら観察するのだという〈関与しながらの観察participant observation〉の概念,医師患者間に働く不合理な非現実的心理に注目した〈パラタクシックな歪曲parataxic distortion〉の概念などが広く知られている。生前刊行された著書は《現代精神医学の概念》(1940)だけであったが,死後弟子たちによって,講義記録をもとに,《対人関係の精神医学》(1953)や《精神医学的面接》(1954),《精神医学における臨床研究》(1956)などが刊行された。
執筆者:


サリバン
Louis Henry Sullivan
生没年:1856-1924

アメリカの建築家。ボストン生れだが,中西部で活躍。19世紀末のシカゴの発展を背景に,高層ビル建築を推進した建築家の一群〈シカゴ派Chicago School〉の最大の指導者。有名な〈形態は機能に従う〉という機能主義建築の定義づけでも知られる。1881年アドラーDankmar Adlerと事務所を開き,オーディトリアム・ビル(1886)で名声を得,ウェンライト・ビル(1891),ギャランティ・ビル(1894)などによりシカゴを中心とする中西部独特の高層商業ビルの様式を確立する。アドラーと別れた後は,カーソン・ピリー・スコット百貨店(1904)以外大きな仕事に恵まれなかったが,ナショナル・ファーマーズ銀行(1907)など小規模ながら独特な装飾豊かな作品を残す。晩年は仕事も少なく,むしろ自叙伝(《Autobiography of an Idea》1923),《幼稚園談義》(1902)などの執筆に力を注ぎ,アメリカらしい建築家と建築の出現を熱心に説いて,F.L.ライトをはじめ若い建築家に大きな影響を与えた。
執筆者:


サリバン
Arthur Seymour Sullivan
生没年:1842-1900

イギリスの作曲家。ローヤル音楽アカデミーやライプチヒ音楽院に学び,1866年ローヤル音楽アカデミー教授,76-81年ナショナル音楽学校校長,71年台本作者のW.S.ギルバートと組んでオペラ《セスピス》を発表して以来,《軍艦ピナフォア》(1878)や《ミカド》(1885),《ゴンドリエ》(1889)などいわゆる〈ギルバート・サリバン・オペラ〉を数多く世に出した。これらは19世紀イギリスを代表するオペラに数えられる。このほか多くの賛美歌,ピアノ曲がある。
執筆者:


サリバン
John Lawrence Sullivan
生没年:1858-1918

アメリカのプロボクサー。マサチューセッツ州出身。アイルランド移民の家に生まれる。1878年にプロボクサーとなり,82年にパディ・ライアンを倒し,素手で戦うベアナックルのヘビー級チャンピオンとなった。89年にキルレーンと75ラウンドを戦った試合は有名である。これが素手で争われたヘビー級タイトル戦の最後となった。91年にJ.J.コーベットに敗れるまで王座を保持し,〈偉大なジョン〉〈ボストンの豪勇少年〉と呼ばれた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サリバン」の意味・わかりやすい解説

サリバン
Sullivan, Anne

[生]1866.4.14. マサチューセッツ,フィーディングヒルズ
[没]1936.10.20. ニューヨーク,フォレストヒルズ
アメリカ合衆国の教師。Sullivanは旧姓。結婚後の名前は Anne Sullivan Macy。家庭教師として,盲・聾・唖のヘレン・ケラーに高い水準の教育を施した功績で広く知られる。自身も子供時代に病気で視力をほとんど失った。1880年にパーキンズ盲学校に入学して,1886年に首席で卒業。数ヵ月にわたって,ローラ・D.ブリッジマンとともにパーキンズ盲学校の初代校長サミュエル・グリドリー・ハウの業績を研究した。1887年3月,アラバマ州タスカンビアで 6歳だったケラーの家庭教師になった。ケラーは生後 19ヵ月で感染した病気により視力と聴力を失って以来,しつけを受けずに怒りっぽいわがままな子供に育ち,触覚のみで外界と接する状態にあった。サリバンは辛抱強く創意工夫を重ね,1ヵ月たたないうちに物には名前があるということを指文字を通じて教えることに成功した。その後は急速に学習が進み,ケラーは十分に語彙を身につけて生来の知性を発揮し,2人は全米で注目されるようになった。1888年からともにパーキンズ盲学校に在籍した。ケラーが 1904年に卒業すると,篤志家の世話により 2人でマサチューセッツ州レンサムの農場に移り住んだ。サリバンは 1905年に結婚してメーシー姓を名のったが,1913年には夫と別居した。その後もケラーに寄り添い,自宅での生活,全米各地への旅行,のちには世界各地での教育集会やボードビル巡業での講演,また海外盲人アメリカ協会のための講演旅行にも同伴した。1935年には完全に視力を失っていた。

サリバン
Sullivan, Louis

[生]1856.9.3. マサチューセッツ,ボストン
[没]1924.4.14. イリノイ,シカゴ
アメリカ合衆国の建築家。フルネーム Louis Henry Sullivan。アメリカ近代建築の先駆者。マサチューセッツ工科大学,パリのエコール・デ・ボザール,フィラデルフィアのファーネス・アンド・ヒューイット事務所で学んだのち,ウィリアム・ル・バロン・ジェニーの事務所をはじめシカゴのいくつかの建築事務所を経て 1879年,ダンクマール・アドラーの事務所に入り,1881年からは共同経営者となった。 1895年に解消するまで 100余の建物を建築しシカゴ派の代表的存在となり,鉄骨高層建築のデザインに貢献するとともに,装飾面でも大きな影響を与えた。初期摩天楼のさきがけとなった 10階建てのウェーンライト・ビル (1890~91) では架構構造体とは別に柱間に垂直材を入れて外面の意匠をつくり,ギャランティ・ビル (1894~95) でも垂直構造材を地上面に露出させた一方で,基部2層にアール・ヌーボーの鋳鉄装飾を施している。その他の作品にオーディトリアム・ビル (1887~89) ,1893年にシカゴで開催されたコロンビア国際博覧会の交通館,シュレージンガー・メイヤー百貨店 (1899~1904。のちのカーソン・ピリー・スコット・ビル) など。主著に『サリヴァン自伝──若き建築家の肖像』 The Autobiography of an Idea (1924) がある。

サリバン
Sullivan, John

[生]1740.2.17. ニューハンプシャー,サマーズワース
[没]1795.1.23. ニューハンプシャー,ダラム
アメリカの軍人,政治家。 1779年のニューヨーク西部におけるイロコイ語族系インディアンの掃討戦の指揮官として有名。 74年ニューハンプシャー植民地協議会の一員となり,第1回大陸会議の代表として出席。 75年6月大陸軍准将に任命されボストン包囲戦を指揮。 76年少将に昇進,G.ワシントン将軍のもとでロングアイランドの戦い,トレントンの戦いを指揮。 78~79年 5000の兵を率いてニューヨークのモホーク峡谷のインディアン掃討戦に従事し,徹底的な焦土作戦をとった。連合会議への代表 (1780~81) ,ニューハンプシャー邦検事総長 (82~86) ,同知事 (86~87,89) などを歴任した。

サリバン
Sullivan, Harry Stack

[生]1892.2.21. ニューヨーク,ノリッジ
[没]1949.1.14. パリ
アメリカの精神医学者。新フロイト派に属するが,フロイトの影響は比較的少い。精神医学を人間関係の研究としてとらえ,分裂病や精神療法の理論に貢献,第2次世界大戦後は国際間の緊張緩和に精神病理学的概念を適用することに努力。主著『現代精神医学の概念』 Conception of Modern Psychiatry (1945) ,『精神医学の対人説』 The Interpersonal Theory of Psychiatry (53) ,『精神医学と社会科学の融合』 The Fusion of Psychiatry and Social Science (64) 。

サリバン
Sullivan, John L.

[生]1858.10.15. マサチューセッツ,ロックスバリ
[没]1918.2.2. マサチューセッツ,アビントン
アメリカ合衆国のプロボクサー。本名 John Lawrence Sullivan。1878年にプロボクシングを始め,1882年ベアナックルのヘビー級チャンピオンとなる。1889年ロンドン・プライズリング (ベアナックル) 時代最後の試合でイギリスのジェーク・キルレインを破り世界チャンピオンとなった。1892年ニューオーリンズのヘビー級タイトル戦で,ジェームズ・J.コーベットの新しい戦法に敗れ,旧式ボクシングに終止符が打たれた。1878~1905年の通算成績は 35戦 31勝 (16KO) 。

サリバン
Sullivan, Sir Arthur (Seymour)

[生]1842.5.13. ロンドン
[没]1900.11.22. ロンドン
イギリスの作曲家。 1853年宮廷礼拝堂の合唱隊に入り,56年王立音楽院入学,58~61年ライプチヒ音楽院留学,66年王立音楽院の作曲科教授。 71年来,劇作家 W.ギルバートと組み,90年両者が別れるまで多くのギルバート=サリバン・オペラ (サボイ・オペラ) を作った。 83年サーの称号を受けた。作品には『陪審裁判』『魔法使い』『軍艦ピナフォア』『ペンザンスの海賊』『ミカド』などのオペレッタ,劇場音楽,宗教曲,室内楽,歌曲などがある。

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百科事典マイペディア 「サリバン」の意味・わかりやすい解説

サリバン

英国の作曲家。アイルランド人を父にロンドンに生まれ,生地の王立音楽院とライプチヒ音楽院に学ぶ。1866年母校の王立音楽院教授に就任。カンタータ,オラトリオ,交響曲などの作品もあるが,特にW.S.ギルバートの台本による多くのオペラ,いわゆる〈ギルバート=サリバン・オペラ〉で成功した。いずれもオッフェンバックの流れを汲むオペレッタ的な性格の濃いもので,代表作として《ミカド》(1885年),《ゴンドリエ》(1889年)などが知られる。

サリバン

米国の建築家。ボストン生れ。マサチューセッツ工科大学を卒業後パリ美術学校に学んだ。1881年構造技術家アドラーと協力してシカゴに事務所を開き,1895年まで共同制作,機能主義建築を提唱し,シカゴ派の中心人物として米国近代建築の開拓者の一人となった。作品はシカゴのオーディトリアム・ビル,シカゴ万国博の交通館など。
→関連項目ライト

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世界大百科事典(旧版)内のサリバンの言及

【オペレッタ】より

…一方ベルリン風オペレッタはリンケR.Lincke(1866‐1946)の《ルーナ夫人》(1899)に始まり風刺や活力あふれる簡潔なオペレッタが書かれ,第2次大戦後はアメリカのミュージカルの逆輸入によって1948‐65年に130以上ものオペレッタが作曲された。イギリスでも1875年ころからA.S.サリバンが《ミカド》(1885)その他の風刺的作品で評判をとり,彼の作品はニューヨークで上演されアメリカにオペレッタ旋風を送る。V.ハーバートはJ.シュトラウスのオペレッタにならった作品を書いたが,J.カーンの《ショー・ボート》あたりからミュージカルへと移っていった。…

【ギルバート】より

…1860年代に滑稽詩やバーレスク劇を発表し始めたが,最も有名な作品は1871年から96年にかけて上演された14編の音楽劇である。これらはA.S.サリバンが曲,ギルバートがせりふと詞を作ったもので,その多くがロンドンのサボイ劇場で演じられたため〈サボイ・オペラ〉と呼ばれることがある。《軍艦ピナフォア号》(1878初演),《ペンザンスの海賊》(1879初演),《ペーシェンス》(1881初演),《ミカド》(1885初演),《ゴンドラの舟人》(1889初演)などが代表作。…

【サボイ・オペラ】より

…イギリスの劇作家W.S.ギルバートが台本と詞,イギリスの作曲家A.S.サリバンが曲を書き,1871年から96年にかけて発表された14編のオペレッタ。サリバンの初期の作品の収益によりドイリー・カートRichard D’Oyly Carteが建てた劇場が1881年にサボイ劇場として開場し,以後はここがおもな上演場所となったため,〈サボイ・オペラ〉の名がある。…

【性格】より

…彼は人格の漸成的発達の理論として八つの年代の発達図式を提示した。新フロイト派に属するアメリカの精神医学者H.S.サリバンの発達理論は認知3段階とそれに対応する言語発達段階から構成される。人格の形成を対人関係の場における経験が決定してゆく過程としてとらえ,人格そのものが人間相互関係の状況の比較的持続するパターンであり一種の仮説的存在にすぎないとみている。…

【精神分析】より

…いわゆる新フロイト派は,アメリカにおける正統精神分析学派に対する批判者の一群であるが,フロイトの生物学主義的な本能論と決別し,パーソナリティの形成や神経症の発生に関し,文化的・社会的要因を強調する点で共通する。この派に入れられる最大の人物はH.S.サリバンであった。彼は精神分析とはいわず精神医学それ自体が〈対人関係の学〉にほかならぬことを強調し,フロイトの精神性的発達は,子どもと親との対人関係の様態の焦点を示すものであると考えた。…

【ボクシング】より

…その基盤には,開拓者による農村型経済から都市型社会に次第に変貌しつつあったアメリカの経済発展があった。1891年ニューオーリンズで行われたタイトルマッチ,クインズベリー・ルール下での最初の世界ヘビー級チャンピオンと認められたサリバンJohn Lawrence SullivanとコーベットJames J.Corbett(アメリカ,1866‐1933)の一戦が,それまでの果し合い的な見せ物から,スポーツ・ボクシングの興行へと成長する大きな節目となった。圧倒的な人気を誇った豪腕サリバンは,ベアナックル時代そのままの戦法で一撃必倒のパンチを狙い,一方,カリフォルニアのアマチュア・クラブで育った元銀行員のコーベットは,優雅なフットワークと軽快なジャブでこれをかわす。…

【アメリカ美術】より

…南北戦争前後にはハントRichard Morris Hunt(1828‐95)に代表されるギリシア様式とゴシック様式,ルネサンス様式の折衷が見られた。この傾向を批判的に乗り越えようとしたのが20世紀初頭のL.H.サリバン,F.L.ライトたちの〈シカゴ派〉で,工業技術の進歩を背景に鉄骨構造の商業的高層ビルを発達させ,スカイスクレーパー(摩天楼)の端緒をひらいた。1920年代に入ると消費社会に適合するマーケットからモーテルにいたる機能的な様式が現れ,30年代のWPA計画ではローコストによるハウジングと並行して古典様式や国際様式が出現している。…

【機能主義建築】より

…同じウィーンで活躍したA.ロースは〈装飾は罪悪なり〉と断じ,歴史様式からの決別を促した。他方,アメリカのL.H.サリバンは〈形態は機能に従う〉といい,近代資本主義が建築に要求する経済性をとらえ,強い説得力を持って語り継がれた。その後の近代建築家も社会が要求する機能に常に関心を払い,たとえば丹下健三は〈美しきもののみ機能的である〉といい,アメリカのL.I.カーンは〈機能は形態を啓示する〉などさまざまな論の提示がなされている。…

【近代建築】より

…アール・ヌーボーの代表的作例であるオルタによるタッセル邸(1892‐93)やギマールによるパリの地下鉄入口では,創意に満ちた曲線的モティーフが見られた。同時にアール・ヌーボーの周辺では,〈シカゴ派〉に属するL.H.サリバンが高層ビルの原型を実現しつつあり,グラスゴーではマッキントッシュがオーストリアに影響を与えることになる直線的様式を発展させつつあり,またスペインのガウディは,ゴシック原理に基づきつつ,うねるような曲線を多用した独自の造形を追究していた。北欧やオランダでは中世建築の手づくりの造形を新しく再生させる試みがつづけられ,20世紀に入ってから,〈アムステルダム派〉を形成してゆく。…

【シカゴ】より

…再建にあたり市は中心街での木造建築を禁じ,煉瓦,石,鉄の使用を義務づけ,保険会社の政策もその傾向を助長した。シカゴは建築家にとって絶好の市場となり,のちに多数のスカイスクレーパー(摩天楼)を設計・建築したL.H.サリバンをはじめ多くの建築家をひきつけた。サリバンは73年,シカゴに移住してジェニーWilliam Le Baron Jenneyの弟子となったが,ジェニーは最初の鉄筋建築ホーム・インシュアランス・ビル(1885完成)を建て,シカゴに摩天楼の時代を開く(シカゴ派)。…

【超高層建築】より

…アメリカにおけるポストモダニズムと東南アジアの超高層建築ブーム)である。
[高層建築の誕生]
 W.L.B.ジェニーやL.H.サリバンらの建築構造技術者や建築家らは,在来工法であった組積造の建築に代わり,当時開発されたばかりのベッセマー鋼と鋳鉄を柱やはりといった構造部材として採用した,〈シカゴ構造Chicago Construction〉と呼ばれる高層建築をシカゴの町に次々と建設していった。それらは当時実用段階に入り始めていた電動式エレベーターや水圧エレベーターを備えていたため,従来4~5階建てであったシカゴの町のスカイラインを一新した。…

※「サリバン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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