サリバン(読み)さりばん(英語表記)Sir Arther Sullivan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サリバン」の意味・わかりやすい解説

サリバン(Harry Stack Sullivan)
さりばん
Harry Stack Sullivan
(1892―1949)

アメリカの精神医学者。ニューヨーク州に生まれる。1917年にシカゴ医学校で医学博士の学位をとり、各地の病院勤務のあとメリーランド大学で教える。病院勤務中に統合失調症精神分裂病)患者の処置に成功して、臨床医として有名になった。フロムホーナイとともに新フロイト派に属するといわれているが、A・マイヤー、G・H・ミードサピア、R・F・ベネディクトらの影響が強く、人間関係を重視する社会心理的パーソナリティーの理論をたてた。生前に発表された著書は『現代精神医学の概念』(1947)だけで、その他の著作は死後に彼のノートをもとに編集されたものである。

[宇津木保]


サリバン(Louis Henri Sullivan)
さりばん
Louis Henri Sullivan
(1856―1924)

アメリカの建築家ボストンに生まれ、マサチューセッツ工科大学に学ぶ。卒業後はパリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)への短期留学を挟んで、おもにシカゴで活動を続け、のちにシカゴ派の中心人物となった。シカゴでは、初めダンクマール・アドラーDankmar Adler(1844―1900)のもとで働いたが、まもなくその手腕を買われて、1881年にはアドラー‐サリバン共同建築事務所がつくられた。デザイン分野にその才能を発揮したが、シカゴのオーディトリアム・ビル(1889)は初期の代表作として知られる。サリバンならではの繊細にして躍動的な装飾は、このあと、セントルイスのウェインライト・ビル(1891)、シカゴ博覧会における交通館(1893)、バッファローのギャランティ・ビル(1895)と、個性的な作例を次々に生み出してゆく。彼の主張は「形態は機能に従う」ということばとともに、機能主義的な側面が強調されるが、弟子フランク・ロイド・ライトがくみ取った、詩的で有機的な空間意識を忘れてはならない。晩年は恵まれず、地方の中・小規模の仕事が多かったが、高い完成度を示した。

[宝木範義]

『竹内大・藤田延幸訳『サリヴァン自伝』(1977・鹿島出版会)』


サリバン(Sir Arther Sullivan)
さりばん
Sir Arther Sullivan
(1842―1900)

イギリスの作曲家、指揮者ロンドン生まれ。オルガン奏者、教育者としても活躍したが、なによりもイギリス独自の様式を示すコミック・オペラの作曲家として知られる。とくに1871年の『セスピス』以後、台本作家ギルバートと組んだ一連の作品で圧倒的な人気を得た。その代表作に『軍艦ピナフォー』(1878)、『ペンザンスの海賊』(1879)、『ミカド』(1885)、『ゴンドリエ』(1889)など、また正歌劇に『アイバンホー』(1891)がある。

[関根敏子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サリバン」の意味・わかりやすい解説

サリバン
Sullivan, Anne

[生]1866.4.14. マサチューセッツ,フィーディングヒルズ
[没]1936.10.20. ニューヨーク,フォレストヒルズ
アメリカ合衆国の教師。Sullivanは旧姓。結婚後の名前は Anne Sullivan Macy。家庭教師として,盲・聾・唖のヘレン・ケラーに高い水準の教育を施した功績で広く知られる。自身も子供時代に病気で視力をほとんど失った。1880年にパーキンズ盲学校に入学して,1886年に首席で卒業。数ヵ月にわたって,ローラ・D.ブリッジマンとともにパーキンズ盲学校の初代校長サミュエル・グリドリー・ハウの業績を研究した。1887年3月,アラバマ州タスカンビアで 6歳だったケラーの家庭教師になった。ケラーは生後 19ヵ月で感染した病気により視力と聴力を失って以来,しつけを受けずに怒りっぽいわがままな子供に育ち,触覚のみで外界と接する状態にあった。サリバンは辛抱強く創意工夫を重ね,1ヵ月たたないうちに物には名前があるということを指文字を通じて教えることに成功した。その後は急速に学習が進み,ケラーは十分に語彙を身につけて生来の知性を発揮し,2人は全米で注目されるようになった。1888年からともにパーキンズ盲学校に在籍した。ケラーが 1904年に卒業すると,篤志家の世話により 2人でマサチューセッツ州レンサムの農場に移り住んだ。サリバンは 1905年に結婚してメーシー姓を名のったが,1913年には夫と別居した。その後もケラーに寄り添い,自宅での生活,全米各地への旅行,のちには世界各地での教育集会やボードビル巡業での講演,また海外盲人アメリカ協会のための講演旅行にも同伴した。1935年には完全に視力を失っていた。

サリバン
Sullivan, Louis

[生]1856.9.3. マサチューセッツ,ボストン
[没]1924.4.14. イリノイ,シカゴ
アメリカ合衆国の建築家。フルネーム Louis Henry Sullivan。アメリカ近代建築の先駆者。マサチューセッツ工科大学,パリのエコール・デ・ボザール,フィラデルフィアのファーネス・アンド・ヒューイット事務所で学んだのち,ウィリアム・ル・バロン・ジェニーの事務所をはじめシカゴのいくつかの建築事務所を経て 1879年,ダンクマール・アドラーの事務所に入り,1881年からは共同経営者となった。 1895年に解消するまで 100余の建物を建築しシカゴ派の代表的存在となり,鉄骨高層建築のデザインに貢献するとともに,装飾面でも大きな影響を与えた。初期摩天楼のさきがけとなった 10階建てのウェーンライト・ビル (1890~91) では架構構造体とは別に柱間に垂直材を入れて外面の意匠をつくり,ギャランティ・ビル (1894~95) でも垂直構造材を地上面に露出させた一方で,基部2層にアール・ヌーボーの鋳鉄装飾を施している。その他の作品にオーディトリアム・ビル (1887~89) ,1893年にシカゴで開催されたコロンビア国際博覧会の交通館,シュレージンガー・メイヤー百貨店 (1899~1904。のちのカーソン・ピリー・スコット・ビル) など。主著に『サリヴァン自伝──若き建築家の肖像』 The Autobiography of an Idea (1924) がある。

サリバン
Sullivan, John

[生]1740.2.17. ニューハンプシャー,サマーズワース
[没]1795.1.23. ニューハンプシャー,ダラム
アメリカの軍人,政治家。 1779年のニューヨーク西部におけるイロコイ語族系インディアンの掃討戦の指揮官として有名。 74年ニューハンプシャー植民地協議会の一員となり,第1回大陸会議の代表として出席。 75年6月大陸軍准将に任命されボストン包囲戦を指揮。 76年少将に昇進,G.ワシントン将軍のもとでロングアイランドの戦い,トレントンの戦いを指揮。 78~79年 5000の兵を率いてニューヨークのモホーク峡谷のインディアン掃討戦に従事し,徹底的な焦土作戦をとった。連合会議への代表 (1780~81) ,ニューハンプシャー邦検事総長 (82~86) ,同知事 (86~87,89) などを歴任した。

サリバン
Sullivan, Harry Stack

[生]1892.2.21. ニューヨーク,ノリッジ
[没]1949.1.14. パリ
アメリカの精神医学者。新フロイト派に属するが,フロイトの影響は比較的少い。精神医学を人間関係の研究としてとらえ,分裂病や精神療法の理論に貢献,第2次世界大戦後は国際間の緊張緩和に精神病理学的概念を適用することに努力。主著『現代精神医学の概念』 Conception of Modern Psychiatry (1945) ,『精神医学の対人説』 The Interpersonal Theory of Psychiatry (53) ,『精神医学と社会科学の融合』 The Fusion of Psychiatry and Social Science (64) 。

サリバン
Sullivan, John L.

[生]1858.10.15. マサチューセッツ,ロックスバリ
[没]1918.2.2. マサチューセッツ,アビントン
アメリカ合衆国のプロボクサー。本名 John Lawrence Sullivan。1878年にプロボクシングを始め,1882年ベアナックルのヘビー級チャンピオンとなる。1889年ロンドン・プライズリング (ベアナックル) 時代最後の試合でイギリスのジェーク・キルレインを破り世界チャンピオンとなった。1892年ニューオーリンズのヘビー級タイトル戦で,ジェームズ・J.コーベットの新しい戦法に敗れ,旧式ボクシングに終止符が打たれた。1878~1905年の通算成績は 35戦 31勝 (16KO) 。

サリバン
Sullivan, Sir Arthur (Seymour)

[生]1842.5.13. ロンドン
[没]1900.11.22. ロンドン
イギリスの作曲家。 1853年宮廷礼拝堂の合唱隊に入り,56年王立音楽院入学,58~61年ライプチヒ音楽院留学,66年王立音楽院の作曲科教授。 71年来,劇作家 W.ギルバートと組み,90年両者が別れるまで多くのギルバート=サリバン・オペラ (サボイ・オペラ) を作った。 83年サーの称号を受けた。作品には『陪審裁判』『魔法使い』『軍艦ピナフォア』『ペンザンスの海賊』『ミカド』などのオペレッタ,劇場音楽,宗教曲,室内楽,歌曲などがある。

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