イギリスの医師、物理学者。磁気研究で名高い。コールチェスター生まれ。1558年ケンブリッジ大学セント・ジョーンズ・カレッジに入学、1561年学士、1564年修士、1569年医学博士号を取得。1573年ロンドンで開業し、1600年には内科医組合会長となった。エリザベス1世の侍医も務めた。
1600年に出版された主著『磁石について』は近代実験科学の古典である。全6巻で、第1巻では磁石についての研究の歴史を検討して俗説を退けるとともに、磁気現象を扱うのに地球が大きな磁石であるという仮定を導入した。第2巻以降は、各巻ごとに、相互引力、指向性、偏角、伏角、回転という磁石の五つの性質を取り上げている。とくに当時、航海と関係した伏角については、船乗りのノーマンRobert Normanの著作から多く学んでいる。またこの著では「小地球」とよんだ小さな球状磁石を用いての実験や、強化磁石の実験など、自らが行った実験、発見を明示するなど新しい科学の特徴を示している。また、それまでは同一に扱われていた琥珀(こはく)の吸引作用を磁気とは区別して、エフルビア(発散気)によるものとしてエレクトリック(琥珀性の意)=電気という名称を初めて用い、その検出装置をくふうした。
彼の磁気による地球の自転や地磁気の作用圏といった考えはケプラーに影響を与えたが、彼の死後1651年に出版された『月下界についての新哲学』では、磁石についての考えを拡張して、宇宙論、自然学、気象学を論じている。起磁力の単位ギルバートGbは、彼の業績にちなんでつけられた。
[高田紀代志]
『三田博雄編『ウィリアム・ギルバート 磁石論』(1981・朝日出版社)』
アメリカの分子生物学者。ボストンに生まれる。ハーバード大学で化学と物理を学び、1953年に卒業し同大学の大学院に進学、ついでイギリスのケンブリッジ大学で1957年博士号を取得した。同年ハーバード大学に戻り、物理学助教授を務めていたが、1960年J・D・ワトソンの影響を受け、専攻を生物学に変更した。1964年から生物物理学準教授、1968年に生化学教授となり、1972年から同大学のアメリカがん協会分子生物学教授についた。
1960年代中ごろから生物学の本格的研究に着手した。大腸菌を用いてリプレッサー(遺伝子の作用を抑制する)タンパク質の分離、精製に成功、その性質について研究した。1977年には、F・サンガーの開発した「プラス・マイナス法」とは異なるDNA(デオキシリボ核酸)の塩基配列決定法を開発した。これはDNAの特定部分を切断する酵素を用いるもので、サンガーの方法より簡単に早く配列を決定でき、共同研究者の名とともにマクサム‐ギルバート法とよばれている。この業績により、1980年にノーベル化学賞をサンガーとともに受賞、DNA組換えの研究によるP・バーグも同時に受賞した。
[編集部 2018年7月20日]
イギリスの農芸化学者。農学全般にわたる研究の業績で知られる。ドイツのギーセンでリービヒのもとで有機化学を学ぶ。帰国後、ロザムステッドの農業研究所に入り、設立者ローズとともに、植物の生育に関する生理学、窒素肥料の効果と土壌微生物の研究の開発に貢献した。硫酸ナトリウムの施用により作物のカリウム摂取量が増加することを発見するなど、農作物に対する化学肥料の効用の研究が優れていた。1884年よりオックスフォード大学の教授を務めた。
[浅海重夫]
イギリスの劇作家。公務員や弁護士の仕事をするかたわら雑文や戯曲を書き、鋭い風刺を機知とユーモアで包んだその作風が高く評価されることもあったが、なんといっても彼の名声を不朽にしたのは、1871年から25年間に作曲家のA・サリバンと組んでつくった14編の喜歌劇であった。これらは『軍艦ピナフォー』(1878)、『ペンザンスの海賊』(1879)、『ミカド』(1885)を代表作とする軽妙なコミック・オペラで、社会の陋習(ろうしゅう)や人間の偽善に対する風刺、機知に富んだ台詞(せりふ)、笑劇風のおかしみにあふれ、その大部分がロンドンのサボイ劇場で初演されたため、サボイ・オペラとよばれ、今日までイギリス人に親しまれている。
[中野里皓史]
CGS単位系の起磁力の単位。1ギルバートは4π分の10アンペア回数にあたる。Gbで表す。この単位は1903年ころから用いられていたが、当初は国際的には承認されず、1930年の国際電気標準会議において採択された。名称はイギリスの物理学者W・ギルバートの業績にちなんでいる。
[小泉袈裟勝]
イギリスの医者,物理学者。1558年ケンブリッジ大学入学,69年医学博士号取得後は,医師として生計を立て,1600年には王立医師会の会長に選ばれるとともにエリザベス女王の侍医となった。そのかたわら,自然科学の研究,とくに磁石の研究に興味をもち,その研究成果を《磁石論De magnete magnetisque corporibus》(1600)に著した。この中で彼は,現象記述,先人意見の批判検討,そして実験という方法論を立て〈くだらない想像〉を退け,電気と磁気とが区別されること,二つの磁石をくっつけると強さが増すこと,地球は大磁石で磁極をもち,磁針はこの地磁気によって指向されることなどを報告している。また航海術への関心から,地球に見立てた球磁石を用いて伏角,偏角の測定も試みている。F.ベーコンによっても評価されるこの実験的方法・精神は,近代科学にとっての原点といえるものであった。ただし,電気,磁気の区別の際,電気は遮へいによって弱まるが磁気は弱まらないことをあげ,これから電気力については微細な未知物質の流れ(エフルウィア)によって起こるとしたものの,それに対して磁気力は非物質的な霊魂による作用であり,磁石とは地球の子宮で胚胎されたものと考えた。これからもわかるように,実験という近代的精神をもちながらも,中世的思索精神をも併せもっていた人物と評価されている。
執筆者:橋本 毅彦
イギリスの劇作家,作詞家。1860年代に滑稽詩やバーレスク劇を発表し始めたが,最も有名な作品は1871年から96年にかけて上演された14編の音楽劇である。これらはA.S.サリバンが曲,ギルバートがせりふと詞を作ったもので,その多くがロンドンのサボイ劇場で演じられたため〈サボイ・オペラ〉と呼ばれることがある。《軍艦ピナフォア号》(1878初演),《ペンザンスの海賊》(1879初演),《ペーシェンス》(1881初演),《ミカド》(1885初演),《ゴンドラの舟人》(1889初演)などが代表作。いずれもメロドラマをもじった奇想天外な筋を,軽快な曲に合わせて歌われる複雑な脚韻や語呂合せを多用した詞で進めていくもので,イギリス・ノンセンス文学の一典型であり,今なお広く愛好されている。ギルバートは一時サリバンと争い,他の作曲者と仕事をしたが,どれも成功していない。1907年,サーの称号を与えられた。
執筆者:喜志 哲雄
アメリカの地質学者,地形学者。ニューヨーク州の生れで,ロチェスター大学で地質学を学ぶ。1871年から開拓時代の合衆国西部の地理・地質調査に加わり,地質調査所に入り,後に所長にもなった。浸食と堆積からなる河川による平準化によって地形が形成されるという説は西部での観察から考え出され,W.M.デービスの地形輪廻説にひきつがれた。また更新世にユタ州を中心に巨大な湖があったことを発見し,ボンヌビル湖と命名,地殻変動を急激な造山運動orogenyと広くゆるやかな造陸運動epeirogenyに区分することを提唱し,火成岩の貫入形態として餅状の岩体を認めラコリスと命名した。晩年には月のクレーターの成因として隕石の衝突説を提唱した。
執筆者:清水 大吉郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アメリカの分子生物学者.ハーバード大学で化学と物理学を学び,大学院で素粒子物理学を専攻した.1957年ケンブリッジ大学でPh.D.を取得し,翌年ハーバード大学講師.1960年J.D. Watson(ワトソン)との交流を通じて生物物理学に転身し,1968年同大学生化学教授,1972~1981年アメリカがん協会分子生物学教授となる.1979年ベンチャー企業バイオジェン社の設立に携わり,1981年ハーバード大学を離れ,同社経営最高責任者に就任.1985年に大学に戻り,1987年以降はC.M.レーブ大学教授となる.1966年にB. Müller-Hillとともにラクトースオペロンのリプレッサータンパク質を純化した.1977年1000塩基配列を数か月で決定する簡便な方法(マクサム・ギルバート法)を開発した.この業績で,1980年F. Sanger(サンガー),P. Berg(バーグ)とともにノーベル化学賞を受賞.1985年以降はヒトゲノム計画を強力に推進した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1979年7月12日にイギリスから独立した。旧ギルバート・エリス諸島のうちのギルバートGilbert諸島で,ポリネシア系のエリスEllice(独立後ツバル)諸島から分かれたミクロネシア系住民の国。1606年にスペインの航海者キロスPedro Fernandez de Quirosにより諸島の一部が発見され,1788年にイギリス海軍のギルバート大佐が測量し,1892年からイギリスの統治下にあった。…
…スイスのベルヌーイ一家は数学者を多数輩出しているが,そのうちヨハンJohann Bernoulli(1667‐1748),ダニエルDaniel B.(1700‐82)は医師である。物理学では,エリザベス女王の侍医W.ギルバートは,磁気の研究で,電磁気学史からはずせない。そのほか,時代は次の世紀に移るが,化学や生物学でも医師は広く業績をあげている。…
…これらの酵素を利用して任意のDNA断片をバクテリア中でクローン化することが可能となった。一方,マクザムM.MaxamとギルバートW.Gilbert(1977)らによりDNAのヌクレオチド配列の効率的な決定法が確立され,原核生物のみならず真核生物の多くの遺伝子の構造解析が行われるようになり,真核生物の分子遺伝学が急速に進展する時代を迎えているようにみえる。
[遺伝学の諸分野]
遺伝学は生物学の中では比較的新しい分野であり,その歴史は100年に満たないが,すでにきわめて多くの分野に分かれてきている。…
…例えば,磁石はそのそばにダイヤモンドやニンニクを置くと,その魔力を失うというたぐいのものである。 このような迷信を一つ一つ実験によって反証し,磁気現象を自然科学の対象にしたのはW.ギルバートである。彼はその研究の成果を《磁石論》(1600)という本にまとめた。…
…この点はG.カルダーノによってより明確化された。こうした伝統のうえに立って,磁石に関して重要な貢献をしたのがW.ギルバートである。ギルバートの《磁石論》は,一方に,きわめて多様な実験を行うと同時に,もう一方で,ルネサンス期特有の新プラトン主義流のアニミズムや神秘主義を強く意識した著作である。…
…彼は,磁石が鉄しか引かないのに反して,摩擦されたコハクは軽い物体ならなんでも引きつけること,磁石はいろいろの物を通しても力を及ぼすが,コハクの引力は間に物をおくとさえぎられることなどを観察した。この研究をうけついだエリザベス1世の侍医W.ギルバートは,さらに実験を重ねてこの区別を確認するとともに,次のような電気的引力の説明を与えた。物体は摩擦されると,エフルウィアeffluviaと呼ばれる微粒子からなるきわめて希薄な雰囲気を周囲に発散する。…
…イギリスの作曲家。ローヤル音楽アカデミーやライプチヒ音楽院に学び,1866年ローヤル音楽アカデミー教授,76‐81年ナショナル音楽学校校長,71年台本作者のW.S.ギルバートと組んでオペラ《セスピス》を発表して以来,《軍艦ピナフォア》(1878)や《ミカド》(1885),《ゴンドリエ》(1889)などいわゆる〈ギルバート・サリバン・オペラ〉を数多く世に出した。これらは19世紀イギリスを代表するオペラに数えられる。…
※「ギルバート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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