トニーブレア(英語表記)Tony Blair

現代外国人名録2016 「トニーブレア」の解説

トニー ブレア
Tony Blair

職業・肩書
政治家 JPモルガン・チェース非常勤顧問 元英国首相,元英国労働党党首

国籍
英国

生年月日
1953年5月6日

出生地
スコットランド州エディンバラ

本名
Blair,Anthony Charles Lynton

学歴
オックスフォード大学〔1976年〕卒

経歴
1975年英国労働党入党。法廷弁護士を経て、’83年下院議員に初当選。影の内閣で’84〜87年蔵相、’87〜88年貿易産業相、’88年エネルギー相、’89〜92年雇用相、’92〜94年内相を歴任。’94年7月ジョン・スミス党首の死去に伴い労働党党首となる。’97年総選挙で400議席を超す大勝利をあげ、5月メージャー首相の47歳を抜き20世紀最年少の43歳で首相に就任。’98年4月北アイルランド紛争をめぐる英国・アイルランド間の和平合意文書に署名。同年12月17〜19日イラクのフセイン政権が国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)の査察を拒否したことへの制裁措置として、米国と共にイラクに対して軍事攻撃を行う。’99年スコットランド及びウェールズへの分権化も実現。2000年10月北朝鮮との国交樹立方針を表明。2001年6月総選挙で労働党が圧勝し再任。同年9月米国で同時多発テロが発生すると、その直後から国際テロと戦う姿勢を鮮明にし、10月に行われた米国のアフガニスタン空爆にも参加。2003年3月開戦のイラク戦争では米国の武力行使を支持し参戦。2005年5月の総選挙では議席数を大きく減らしながらも労働党史上初の3期連続勝利を達成、首相3選を決める。同年7月7日スコットランドで主要国首脳会議(G8サミット)を開催中、ロンドン中心部で地下鉄などが爆破される同時多発テロが発生、討議を中座して対応にあたった。2006年5月地方議会選挙で労働党が大敗し、内閣改造。2007年6月首相辞任。下院議員も辞職。以後、中東和平のための4者協議の特使を務める。同年12月カトリックに改宗。2008年1月米銀大手のJPモルガン・チェースの非常勤顧問となる。著書に「New Britain:My Vision of a Young Country」(1996年)、「The Third Way」(’98年)がある。夫人も弁護士。’98年来日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

367日誕生日大事典 「トニーブレア」の解説

トニー ブレア

生年月日:1953年5月6日
イギリスの政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android