現代外国人名録2016 「トムストッパード」の解説
トム ストッパード
Tom Stoppard
- 職業・肩書
- 劇作家,脚本家
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1937年7月3日
- 出生地
- チェコスロバキア・ズリーン(チェコ)
- 旧名・旧姓
- ストラウスラー,トーマス〈Straussler,Thomas〉
- 受賞
- イブニング・スタンダード賞〔1967年・1972年・1974年・1978年・1982年・1993年・1997年・2006年〕,ニューヨーク劇評家賞〔1968年〕「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」,ジョン・ホワイティング賞〔1967年〕「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」,プレイズ・アンド・プレイヤーズ賞〔1967年〕「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」,トニー賞(第30回・38回)〔1976年・1984年〕「茶番劇」「ザ・リアル・シング」,ベネチア国際映画祭金獅子賞(第47回)〔1990年〕「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」(映画),ローレンス・オリビエ賞〔1993年〕,ゴールデン・グローブ賞脚本賞(第56回,1998年度)「恋におちたシェイクスピア」,米国脚本家組合賞(1998年度)「恋におちたシェイクスピア」,アカデミー賞オリジナル脚本賞(第71回)〔1998年〕「恋におちたシェイクスピア」,ベルリン国際映画祭貢献賞(第49回)〔1999年〕「恋におちたシェイクスピア」,トニー賞(7部門)〔2007年〕「コースト・オブ・ユートピア」,世界文化賞(演劇・映像部門,第27回)〔2009年〕
- 経歴
- ユダヤ系の家庭に生まれる。1939年ナチス・ドイツの手を逃がれ、一家でシンガポールへ移住したが、’42年今度は日本軍の進攻に遭い、父を残してインドへ避難した。父はその後日本軍に捕えられ死亡。母の再婚によりストッパード姓となる。インドではアメリカンスクールに学び、’46年英国に移住。17歳で学校を修了し、ジャーナリストとなり、報道記事、映画・演劇の批評を担当した。’60〜62年フリーランスの記者として働く。この間に書いた「水上の散歩」(のち「自由人登場」と改名)が’63年にテレビ放映される。’67年「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」がナショナルシアターで上演されて認められ、トニー賞をはじめ、数々の賞を独占した。その後も知的ユーモアとウィットに富んだ数多くの作品を書きイギリス演劇界にその地位を確立した。他の主な戯曲に「ジャンパーズ」(’72年)、「茶番劇」(’75年)、「ザ・リアル・シング」(’82年)、「アルカディア」(’93年)、「コースト・オブ・ユートピア」(2002年)、「ロックンロール」(2006年)など。またテレビドラマや映画脚本、翻訳・翻案作品の台本を多数手がけ、幅広い方面で高い評価を得る。1990年「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」を映画化、自ら監督した。’99年「恋におちたシェイクスピア」ではアカデミー賞オリジナル脚本賞などを受賞。他の映画作品に「未来世紀ブラジル」(’84年)、「太陽の帝国」(’87年)、「ロシアハウス」(’89年)など。ナイト爵位を叙せられる。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報