ドイツ民主党(読み)ドイツみんしゅとう(その他表記)Deutsche Demokratische Partei

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドイツ民主党」の意味・わかりやすい解説

ドイツ民主党
ドイツみんしゅとう
Deutsche Demokratische Partei

ドイツの政党略称 DDPドイツ進歩党国民自由党左派を結集して 1918年 11月に結成された。設立発起人のなかには H.プロイス,W.ラーテナウ,A.アインシュタイン,H.シャハトらが名を連ねていた。党はドイツ革命を受入れて共和国への忠誠を誓い,また政治,経済,社会構造の改革にも同意した。そしてワイマール憲法制定にも大きな役割を演じた。そのため 19年頃は中産階級の希望や利益を代弁する最も有力な政党であったといえる。しかしまもなく左右に分裂して弱体化した。 33年の最後のワイマール議会では5議席をもっていたが,憲法生みの親であるにもかかわらず,授権法に賛成投票を行なってこれを葬り去った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドイツ民主党」の意味・わかりやすい解説

ドイツ民主党
どいつみんしゅとう
Deutsche Demokratische Partei

略称DDP。第一次世界大戦後のワイマール共和制期ドイツの政党。1918年11月、旧進歩人民党、旧国民自由党左派を中心に結成され、フリードリヒ・ナウマンを党首とした。党は議会主義に立脚し社会政策を重視したので、ラーテナウなど大資本の経営者のほか、中間層や一部の労働者にも支持され、またマックスウェーバーなど知識人も多数参加した。19年の国民議会選挙では75議席を獲得して第三党となり、社会民主党、中央党とともにワイマール連合を形成、以後、歴代政府のほとんどに参加したが、得票数は漸減、30年には党勢の回復を図って青年ドイツ騎士団と結んでドイツ国家党を組織した。しかし32年秋の選挙では2議席、33年の選挙では5議席となり、その存在意義を失った。

[松 俊夫・山口 定]

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世界大百科事典(旧版)内のドイツ民主党の言及

【ナウマン】より

…次いで自由主義左派の結集に尽力,第1次世界大戦中は《中欧》(1915)でドイツ覇権下の経済新秩序を唱道。ドイツ革命では新設のドイツ民主党Deutsche Demokratische Parteiの党首となる。【三宅 立】。…

※「ドイツ民主党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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