ホイス(読み)ほいす(その他表記)Theodor Heuss

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホイス」の意味・わかりやすい解説

ホイス
ほいす
Theodor Heuss
(1884―1963)

西ドイツの初代大統領。ブラッケンハイム生まれ。第一次世界大戦前からジャーナリスト活動に従事し、1920~1933年ベルリン政治大学の講師。1918年民主党(DDP)に加わり、1924~1928年および1930~1933年帝国議会議員。第二次世界大戦後しばらくウュルテンベルク・バーデン州の文化相を務め(1945~1946)、1947年シュトゥットガルト工科大学の現代史と政治学の教授。その間自由民主党(FDP)の創設に参加し、1948年西側三地区のFDP党首に選出された。同年ウュルテンベルク・バーデン州議会代表として議会的協議会Parlamentarischer Rat(制憲議会)に加わり、西ドイツの基本法(憲法)作成に大きな影響を与えた。1949年ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)発足とともに大統領に選出され、1954年再選された(1959年任期満了)。

[深谷満雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホイス」の意味・わかりやすい解説

ホイス
Heuss, Theodor

[生]1884.1.31. ウュルテンベルク,ブラッケンハイム
[没]1963.12.12. シュツットガルト
西ドイツの政治家。ミュンヘン,ベルリン両大学で政治学を学び,1905年ミュンヘン大学で博士号取得。 05~12年雑誌『ヒルフェ』,12~18年日刊紙『ネッカー・ツァイトゥング』の編集に参加。 18年ドイツ民主党に入り,24~28,30~33年同党代議士。 36年ナチスによって公刊が禁止されるまで,再び『ヒルフェ』の編集にあたり,『フランクフルター・ツァイトゥング』紙にも定期的に寄稿。 A.ヒトラー政権成立後,伝記の執筆などで政界から遠ざかっていたが,第2次世界大戦後の 46年自由民主党の結成参画,49年同党党首,49~54年西ドイツ初代大統領。 54~59年再選。主著"Hitlers Weg" (1932) ,"Friedrich Naumann" (37) ,"Kräfte und Grenzen einer Kulturpolitik" (51) ,"Die Machtergreifung und das Ermächtigungsgesetz" (67) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ホイス」の解説

ホイス
Theodor Heuß

1884~1963

南西ドイツの民主的伝統を保持するドイツの政治家。ナウマンのグループに属し,1905~12年『援助』(Hilfe)誌主筆,24~28年と30~33年民主党から国会議員出馬。この間政治大学にも私講師として出講ナチス政権下では『援助』誌を再刊するが,廃刊となると(36年)新聞紙上に伝記を寄稿しつづけた。ナチス崩壊後ヴュルテンベルク‐バーデン州文化相となるが,46年自由民主党を創立し,49年ドイツ連邦共和国初代大統領(在任1949~59)に選任された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ホイス」の解説

ホイス
Theodor Heuss

1884〜1963
ドイツの政治家
第二次世界大戦後の1946年に結成された自由民主党党首。49年ドイツ連邦共和国の成立とともに大統領に就任し,54年再選,59年引退。

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