ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国民自由党」の意味・わかりやすい解説
国民自由党
こくみんじゆうとう
Nationalliberale Partei
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ドイツの政党。ビスマルクの鉄血政策に対し憲法闘争を行った進歩党がプロイセン‐オーストリア戦争の勝利を機に分裂した際,ビスマルク支持にまわった右派が1867年に結成した。ドイツ帝国成立当初第1党としてビスマルクの最大の支柱であったが,保護関税問題をめぐって分裂し勢力が激減した。資本家階級を代表し,世界政策を擁護,第一次世界大戦では併合政策を主張した。ドイツ革命後の1918年に解体,ドイツ人民党はその後身である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ドイツ第二帝政期の自由主義政党。教養ブルジョアジー層と工業界とを基盤とする。1866年のプロイセン・オーストリア戦争を機に、ビスマルクの上からのドイツ統一策を支持するグループが進歩党から分離し、翌67年国民自由党を結成。同党は議会でのビスマルクの最有力支持勢力として、統一後ドイツの国内統合政策、文化闘争などを指導、国会選挙でも3割近い票を得た。80年、保護関税に反対するグループが党を脱退して勢力を弱めたが、その後も第二帝政のほとんど全期を通じて与党的立場にあった。90年以降はドイツの帝国主義的進出をもっとも強く主張、工業界の利益代表としての性格を強めた。第一次世界大戦中は併合政策を唱え、主戦派の指導者となった。1918年のドイツ革命後解散、主流派はシュトレーゼマンの率いるドイツ国民党へ移った。
[木村靖二]
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…さらに自由主義者左派グループによるドイツ進歩党Fortschrittsparteiの結成(1861)とビスマルクの首相就任(1862)は,下院と政府の対立をいっそう激化させた。この紛争は,普墺戦争の勝利によって軍備拡張の成果が示されたことによって鎮静化し,ドイツ進歩党は分裂し,ビスマルク与党の国民自由党Nationalliberale Parteiが結成された。【望田 幸男】。…
※「国民自由党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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