国民自由党(読み)こくみんじゆうとう(英語表記)Nationalliberale Partei

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国民自由党」の意味・わかりやすい解説

国民自由党
こくみんじゆうとう
Nationalliberale Partei

ドイツ,プロシアの政党ビスマルク鉄血政策に対し憲法闘争を行なったドイツ進歩党がビスマルクの提出した「事後承諾案」をめぐり分裂し,ビスマルクの国民統一政策を支持する一派が,E.ラスカーおよび A.トベステンを指導者として 1867年2月に結成,59年以来ドイツ国民協会を組織したハノーバーの R.ベニヒセンがこれに加入してその首領となった。ドイツ帝国成立後,第1党の地位を占め,文化闘争ではビスマルクを支持して全盛期を現出したが,79年ビスマルクが保護関税政策をとるに及んで,その自由貿易主義の立場から分裂を余儀なくされ,党勢は著しく衰えた。 84年3月ハイデルベルク綱領を採択して,再びビスマルクとの提携を決定し,その後保守党と結んで帝国議会右翼を形成して政府与党となったが,90年以後中央党,社会民主党が次第に発展し,党勢ふるわず,帝国主義時代には,植民政策,建艦政策を支持し,またユンカーの利益を擁護する農民保護政策をとって,本来自由主義主張はますます薄れた。 1890年代の末「青年自由主義派」が生れて,本来の自由主義を守ろうとしたが,中心部は保守党との提携を変えず,第1次世界大戦においては無条件勝利併合政策を唱えた。 1918年 11月革命によって消滅

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「国民自由党」の解説

国民自由党(こくみんじゆうとう)
Nationalliberale Partei

ドイツの政党。ビスマルク鉄血政策に対し憲法闘争を行った進歩党プロイセン‐オーストリア戦争の勝利を機に分裂した際,ビスマルク支持にまわった右派が1867年に結成した。ドイツ帝国成立当初第1党としてビスマルクの最大の支柱であったが,保護関税問題をめぐって分裂し勢力が激減した。資本家階級を代表し,世界政策を擁護,第一次世界大戦では併合政策を主張した。ドイツ革命後の1918年に解体,ドイツ人民党はその後身である。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国民自由党」の意味・わかりやすい解説

国民自由党
こくみんじゆうとう
Nationalliberale Partei ドイツ語

ドイツ第二帝政期の自由主義政党。教養ブルジョアジー層と工業界とを基盤とする。1866年のプロイセン・オーストリア戦争を機に、ビスマルクの上からのドイツ統一策を支持するグループが進歩党から分離し、翌67年国民自由党を結成。同党は議会でのビスマルクの最有力支持勢力として、統一後ドイツの国内統合政策、文化闘争などを指導、国会選挙でも3割近い票を得た。80年、保護関税に反対するグループが党を脱退して勢力を弱めたが、その後も第二帝政のほとんど全期を通じて与党的立場にあった。90年以降はドイツの帝国主義的進出をもっとも強く主張、工業界の利益代表としての性格を強めた。第一次世界大戦中は併合政策を唱え、主戦派の指導者となった。1918年のドイツ革命後解散、主流派はシュトレーゼマンの率いるドイツ国民党へ移った。

[木村靖二]

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百科事典マイペディア 「国民自由党」の意味・わかりやすい解説

国民自由党【こくみんじゆうとう】

ドイツの政党。1867年ビスマルクを支持する進歩党右派が結成。1870年代は帝国議会で第一党を占め,ビスマルクの支柱であったが,保護関税問題をめぐって再度分裂し勢力が激減した。1918年ドイツ革命後解体,その後身としてドイツ人民党が成立。
→関連項目シュトレーゼマントライチュケ

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旺文社世界史事典 三訂版 「国民自由党」の解説

国民自由党
こくみんじゆうとう
Nationalliberale Partei

1867年に結成された,プロイセンおよびドイツの政党
ビスマルクと対立したプロイセン進歩党より分離し,ビスマルクの統一政策を支持した一派。ブルジョワジーを基盤とし,1874年に第一党となったが,保護関税問題で分裂した。

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世界大百科事典(旧版)内の国民自由党の言及

【プロイセン憲法紛争】より

…さらに自由主義者左派グループによるドイツ進歩党Fortschrittsparteiの結成(1861)とビスマルクの首相就任(1862)は,下院と政府の対立をいっそう激化させた。この紛争は,普墺戦争の勝利によって軍備拡張の成果が示されたことによって鎮静化し,ドイツ進歩党は分裂し,ビスマルク与党の国民自由党Nationalliberale Parteiが結成された。【望田 幸男】。…

※「国民自由党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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