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国民自由党 こくみんじゆうとう Nationalliberale Partei

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

国民自由党
こくみんじゆうとう
Nationalliberale Partei

ドイツ,プロシアの政党。ビスマルク鉄血政策に対し憲法闘争を行なったドイツ進歩党ビスマルクの提出した「事後承諾案」をめぐり分裂し,ビスマルクの国民統一政策を支持する一派が,E.ラスカーおよび A.トベステンを指導者として 1867年2月に結成,59年以来ドイツ国民協会を組織したハノーバーの R.ベニヒセンがこれに加入してその首領となった。

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百科事典マイペディアの解説

国民自由党【こくみんじゆうとう】

ドイツの政党。1867年ビスマルクを支持する進歩党右派が結成。1870年代は帝国議会で第一党を占め,ビスマルクの支柱であったが,保護関税問題をめぐって再度分裂し勢力が激減した。
→関連項目シュトレーゼマントライチュケ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

国民自由党
こくみんじゆうとう
Nationalliberale Parteiドイツ語

ドイツ第二帝政期の自由主義政党。教養ブルジョアジー層と工業界とを基盤とする。1866年のプロイセンオーストリア戦争を機に、ビスマルクの上からのドイツ統一策を支持するグループが進歩党から分離し、翌67年国民自由党を結成。同党は議会でのビスマルクの最有力支持勢力として、統一後ドイツの国内統合政策、文化闘争などを指導、国会選挙でも3割近い票を得た。80年、保護関税に反対するグループが党を脱退して勢力を弱めたが、その後も第二帝政のほとんど全期を通じて与党的立場にあった。90年以降はドイツの帝国主義的進出をもっとも強く主張、工業界の利益代表としての性格を強めた。第一次世界大戦中は併合政策を唱え、主戦派の指導者となった。1918年のドイツ革命後解散、主流派はシュトレーゼマンの率いるドイツ国民党へ移った。[木村靖二]

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世界大百科事典内の国民自由党の言及

【プロイセン憲法紛争】より

…さらに自由主義者左派グループによるドイツ進歩党Fortschrittsparteiの結成(1861)とビスマルクの首相就任(1862)は,下院と政府の対立をいっそう激化させた。この紛争は,普墺戦争の勝利によって軍備拡張の成果が示されたことによって鎮静化し,ドイツ進歩党は分裂し,ビスマルク与党の国民自由党Nationalliberale Parteiが結成された。【望田 幸男】。…

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