ラーテナウ(読み)らーてなう(英語表記)Walther Rathenau

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラーテナウ」の意味・わかりやすい解説

ラーテナウ(Walther Rathenau)
らーてなう
Walther Rathenau
(1867―1922)

ドイツの実業家、政治家。ドイツの電機工業界の中心的企業AEG(アーエーゲー)(アルゲマイネ電気会社)を創設したエミールを父とし、第一次世界大戦前からAEGや有力銀行の理事となり、1916年AEGを継承した。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)直後、戦時経済体制の確立を提唱し、戦時原料局を設置させ、その後も軍需経済の組織化に協力した。第一次世界大戦後、ドイツ民主党に属す一方、経済専門家として、講和交渉の準備にかかわり、1921年ウィルト内閣の復興相、1922年には外相となり、連合国側との賠償交渉に参加、革命ロシアとの国交回復を内容とするラパロ条約に調印した。賠償の履行によるベルサイユ条約改定を唱え、さらにユダヤ系の出身であったことから、国粋派の攻撃の的となり、同年10月国粋派テロ組織に暗殺された。独特の時代批評や社会組織論でも高い評価を受けており、第二次世界大戦後、旧西ドイツで著作の全集が出版されている。

[木村靖二]


ラーテナウ(Emil Rathenau)
らーてなう
Emil Rathenau
(1838―1915)

ドイツの電気技術者、企業家。ハノーバー工科大学、チューリヒ工科大学で機械工学を学んだ。1876年フィラデルフィアでの万国博覧会で見た電話機に注目し、ベルリン当局に働きかけて電話局を開設。1878年のパリ万国博覧会にエジソンの白熱照明システムが出品されるとすぐにその特許権を得て、1883年ベルリンにドイツ・エジソン応用電気会社を設立白熱電球の製造を開始する一方で、ジーメンス‐ハルスケ社(後のジーメンスAG)からその他の設備を購入し市内配電を始めた。1887年にはジーメンス‐ハルスケ社の束縛から離れ、AEG(アーエーゲー)(アルゲマイネ電気会社)をおこし、電気鉄道建設、電気製鋼などに投資した。

[高橋智子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラーテナウ」の意味・わかりやすい解説

ラーテナウ
Rathenau, Walther

[生]1867.9.29. ベルリン
[没]1922.6.24. ベルリン
ドイツの政治家,実業家。哲学,化学,技術などを学び,1899年父エミールの創立した電機会社 AEGに入社,1915年社長。第1次世界大戦が始ると,原料を確保するため陸軍省に戦時原料局が設けられ,その局長として E.ルーデンドルフ参謀次長とともに経済の戦時統制を指揮。戦後ドイツ民主党の創設に参加するかたわら,ベルサイユ条約や賠償問題に関する専門委員として国際会議に出席。 21年5~11月 K.ビルト内閣の復興相に就任,履行政策を首相に進言。 22年1月外相となり,ジェノバ会議に出席したが,西欧諸国との交渉が進展せず,会議中の4月 16日ソ連とラパロ条約を結んだため極右派の反感を買い,ユダヤ人であったことも災いして帰国後まもなく暗殺された。著書"Die neue Staat" (1919) 。

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