ドイツ進歩党(読み)ドイツしんぽとう(英語表記)Deutsche Fortschrittspartei

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドイツ進歩党」の意味・わかりやすい解説

ドイツ進歩党
ドイツしんぽとう
Deutsche Fortschrittspartei

ドイツ,プロシアの政党。 1858年の選挙で多数を占めた自由派内の左派グループを中心に 61年結成。同年 12月の選挙で一挙に第1党に躍進し,予算審議権の確立を目指して,いわゆるプロシア憲法闘争の幕を切って落した。続く 62年の選挙でも議席増し,第2党の中央左派グループとともに絶対多数をもって軍備増強予算を否決して,ここに登場したビスマルクと激しく対立し世論の支持を集めた。しかしプロシア=オーストリア戦争の勝利を機に世論は進歩党を離れ,党員のなかにもビスマルク支持者が現れ,66年ビスマルクが予算支出の「事後承諾案」を議会に提出したとき,その諾否をめぐってついに分裂,離党した一派国民自由党を結成した。しかし少数党となったのちもビスマルクの反対派として自由主義的要求を続け,84年ビスマルクの保護関税政策に反対する国民自由党の一派を合体してドイツ自由思想家党となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドイツ進歩党」の解説

ドイツ進歩党(ドイツしんぽとう)
Deutsche Fortschrittspartei

1861年にプロイセンの自由主義左派と急進民主主義者とが結成した政党。ビスマルク鉄血政策に対して抵抗,これがプロイセン憲法紛争となった。67年一部が分かれてビスマルク支持にまわり国民自由党を結成,以後離合集散を重ねた。すなわち,84年進歩党はビスマルクの保護関税政策に反対する国民自由党分離派と合同して自由思想党を結成したが,93年陸軍増強法案をめぐって,これに反対する自由思想人民党とこれを承認する自由思想連合とに分裂した。1910年両党は南ドイツの自由主義的なドイツ人民党とともに進歩人民党を結成,ドイツ革命後は民主党に発展的に解消した。

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世界大百科事典(旧版)内のドイツ進歩党の言及

【プロイセン憲法紛争】より

…このことはプロイセン憲法体制の性格とあり方をめぐる対立へと発展した。さらに自由主義者左派グループによるドイツ進歩党Fortschrittsparteiの結成(1861)とビスマルクの首相就任(1862)は,下院と政府の対立をいっそう激化させた。この紛争は,普墺戦争の勝利によって軍備拡張の成果が示されたことによって鎮静化し,ドイツ進歩党は分裂し,ビスマルク与党の国民自由党Nationalliberale Parteiが結成された。…

※「ドイツ進歩党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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