ドミニカ(読み)どみにか(英語表記)Commonwealth of Dominica

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドミニカ」の意味・わかりやすい解説

ドミニカ
どみにか
Commonwealth of Dominica

中央アメリカの西インド諸島東部、小アンティル諸島中のウィンドワード諸島に位置するドミニカ島全域を領土とする国。ドミニカという島名は、コロンブスが来島した日が日曜日(ドミンゴ)だったので、それにちなんでつけられたとされている。面積751平方キロメートル。人口7万1000(2007年推計)、6万7000(2009年推計)。首都はロゾーRoseauで、人口2万(2003年推計)。

 ドミニカ島は南北約32キロメートル、東西約26キロメートルの火山島で、ボイリング・レイクとよばれる幅60メートルの温泉湖もある。島の中央部を南北に山地が走り、急流がみられる。島の西側の風下斜面は土壌が厚く、東側の風上斜面には熱帯赤色土壌が発達する。一年中、高温で降雨も多く、しばしばハリケーンの被害を受ける。年降水量は2150ミリメートルに達し、多種の熱帯性植物が繁茂する。自然の美が損なわれずに保たれているので、「カリブ海の自然の島」とよばれる。

 1493年コロンブスの第二次航海で「発見」された。1632年にフランス人が入植した。1759年イギリスが島を占領し、1805年にはイギリス領、1967年イギリス自治領となり、1978年11月に独立した。イギリス連邦の加盟国である。政体は共和制で、議会選出の大統領が元首である。任期は5年。議会は一院制で議席数は31、そのうち21議席が選挙で選ばれ、10議席は大統領が任命する。議員の任期は5年。

 1980年7月、初めての総選挙でドミニカ自由党(DFP=Dominica Freedom Party)が、独立以前から政権を担当していたドミニカ労働党(DLP=Dominica Labour Party)に勝利して、チャールズMary Eugenia Charles(1919―2005)がカリブ海地域初の女性首相となり、その後3期連続して首相に就任した。しかし1995年6月の総選挙で野党の統一労働者党(UWP=United Workers Party)が第一党となり、党首ジェームズEdison James(1943― )が首相となった。2000年1月には、DLPがDFPと連立政権を樹立し、DLP党首ダグラスRoosevelt Douglas(1941―2000)が首相に就任したが、同年10月急死、その後任としてチャールズPierre Charles(1954―2004)が首相に就任した。2004年1月、チャールズが死去、後任にスカーリットRoosevelt Skerrit(1972― )が就任した。2005年9月、2009年12月の総選挙でも与党DLPが勝利し、スカリーットが引き続き首相に就任した。

 観光と、低地でのバナナ、ココナッツ、カカオ、マンゴー、柑橘(かんきつ)類の栽培が主要産業である。ドミニカは火山島であり、砂浜が少ないために他の西インド諸島と比較して観光業の発展は遅かった。しかし、山山、熱帯林、淡水湖、温泉、滝やダイビング・スポットなどがあり、これらがエコツーリズムの目的地となって観光客も増加しつつある。通貨は東カリブ・ドル(ECドル)。

 島の南部のモゥーン・トワ・ピトン国立公園は1997年に世界自然遺産に登録された。住民の大部分はアフリカ系で、島東部の先住民居留地にはカリブ人約2000人が居住している。公用語は英語で、フランス語と先住民言語の混合語であるパトワ語(クレオール語)も使われている。宗教はキリスト教カトリック、プロテスタントが大半を占める。

 日本とは1978年(昭和53)に外交関係を樹立した。貿易では、日本へのおもな輸出品目は革製品や葉巻タバコ、衣類などで輸出額は約1.2億円、日本からのおもな輸入品目は自動車やオートバイなどで輸入額は約7.1億円である(2009)。

[菅野峰明]


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