トルヒーヨ(読み)とるひーよ(英語表記)Rafael Leonidas Trujillo

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルヒーヨ」の意味・わかりやすい解説

トルヒーヨ(ペルー)
とるひーよ
Trujillo

南アメリカ、ペルー北西部、ラ・リベルター県の県都。トルヒーリョ、トゥルヒージョともいう。人口60万3657、2018年の推計人口は83万3379。ペルー第三の大都市である。砂漠地帯のオアシスの新興工業都市で、精糖、ラム酒醸造、自動車、オートバイ製造、製紙など多数の工場がある。スペインの征服者ピサロが1536年にスペインの故郷の町にちなんで命名した。植民地風の邸宅や大伽藍(がらん)と10余りの教会のある古い町は城壁で囲まれているが、周りの近代建築とよく調和している。町の中心、アルマス広場には独立戦争の英雄の像が立ち並んでいる。また、近郊には先インカ時代の都市遺跡チャンチャンがある。

[山本正三]


トルヒーヨ(Rafael Leonidas Trujillo)
とるひーよ
Rafael Leonidas Trujillo
(1891―1961)

ドミニカ共和国軍人、独裁者。郵便局員の子に生まれる。正規の教育は受けず、陸軍に入隊。1927年将軍となる。1930年にクーデターによってバスケス大統領を追放し政権を掌握した。以後、1930~1938年、1943~1952年と大統領を務めたほか、ストロングマンとして実権を行使した。1961年5月、部下の将校に暗殺されたが、この間ドミニカ党を結成し一党独裁をほしいままにした。国家権力を利用して畜産業、商業などをはじめ経済のほとんど全分野を独占したほか、国内の全資産の60%を掌握するなど、きわめてラテンアメリカ的な独裁者といわれた。

[後藤政子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トルヒーヨ」の意味・わかりやすい解説

トルヒーヨ
Trujillo

ペルー北部,ラリベルタド県の県都。首都リマの北北西約 500km,太平洋沿岸の海岸砂漠にある。スペイン人が建設したペルーの都市のなかでは北のピウラに次いで古く,1534年建設。 19世紀周辺に外国資本によりサトウキビの大農場が開設されて以降,人口が急速に増加,現在同国の主要都市の一つとなっている。周辺のモチェ川河谷の灌漑農業地帯ではサトウキビやイネの栽培が盛んで,市はそれらの農産物の集散,加工を行うとともに,各種食品,ビール,皮革,繊維,石鹸などを製造する。市街は 1612年の地震で大きな被害を受けたが,現在大聖堂をはじめとする古い建築物も多数保存されており,植民地時代の面影をとどめている。南東郊には先インカ期に栄えたチムー王国の首都チャンチャンの遺跡があり,市内にある国立トルヒーヨ大学 (1824) の考古学博物館にはチムー,モチーカなどのアンデス文明に属する土器などが集められている。パンアメリカン・ハイウェーが通り,アンデス山中へ延びる道路が分岐する。人口 53万 2000 (1990推計) 。

トルヒーヨ
Trujillo

ホンジュラス北部の都市。コロン県の県都。首都テグシガルパの北北東約 250km,カリブ海にのぞむ港湾都市で,トルヒーヨ湾南岸に位置する。 1525年に建設され,スペイン植民地ホンジュラス地方の最初の首都とされ,特に 17世紀初めに繁栄。 1643年にオランダの海賊に占拠されてのち荒廃。 1787年スペイン人が入植して町を再建。現在商業中心地として,バナナ,ココナッツ,マホガニー材,皮革などを集散。 1920年以降,港湾機能は湾の北岸につくられたプエルトカスティヤに移った。人口 5547 (1988推計) 。

トルヒーヨ
Trujillo

ベネズエラ北西部,トルヒーヨ州の州都。同国最大の湖マラカイボ湖の東岸から約 70km東,メリダ山脈北部にあり,標高約 800m。 1556年建設。植民地時代は物資輸送の中継地として繁栄。現在周辺の肥沃な農業地帯の中心地で,カカオ,トウモロコシ,コーヒー,サトウキビ,タバコ,果実などを集散。市内には製粉,魚肉加工などの工場がある。人口3万 2683 (1990推計) 。

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