ドミニカ共和国の軍人,政治家。〈ストロングマン〉と呼ばれた。1930年に陸軍参謀長のとき,アメリカ海兵隊の支持のもとでクーデタによって権力の座につき,大統領任期中(1930-38,43-52)を含め,31年間の長期にわたって独裁政治をほしいままにしたが,61年5月に暗殺された。その間ドミニカ党を結成して一党独裁を実施し,経済面でも製糖,牧畜,練乳,清涼飲料,コーヒー栽培,鉱業,製靴,セメント,生命保険など国民経済のあらゆる分野を掌中におさめる。また暗殺や脅迫などの手段によって反対派を抑えていた。1956年,北アメリカに亡命してトルヒーヨ攻撃の著書を出版する予定であったサント・ドミンゴ大学教授ヘスス・ガリンデスが,ニューヨークの地下鉄からトルヒーヨの秘密警察によって誘拐されて消息を絶ち,国際的な事件として反響を呼んだことはよく知られている。
執筆者:神代 修
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南アメリカ、ペルー北西部、ラ・リベルター県の県都。トルヒーリョ、トゥルヒージョともいう。人口60万3657、2018年の推計人口は83万3379。ペルー第三の大都市である。砂漠地帯のオアシスの新興工業都市で、精糖、ラム酒醸造、自動車、オートバイ製造、製紙など多数の工場がある。スペインの征服者ピサロが1536年にスペインの故郷の町にちなんで命名した。植民地風の邸宅や大伽藍(がらん)と10余りの教会のある古い町は城壁で囲まれているが、周りの近代建築とよく調和している。町の中心、アルマス広場には独立戦争の英雄の像が立ち並んでいる。また、近郊には先インカ時代の都市遺跡チャンチャンがある。
[山本正三]
ドミニカ共和国の軍人、独裁者。郵便局員の子に生まれる。正規の教育は受けず、陸軍に入隊。1927年将軍となる。1930年にクーデターによってバスケス大統領を追放し政権を掌握した。以後、1930~1938年、1943~1952年と大統領を務めたほか、ストロングマンとして実権を行使した。1961年5月、部下の将校に暗殺されたが、この間ドミニカ党を結成し一党独裁をほしいままにした。国家権力を利用して畜産業、商業などをはじめ経済のほとんど全分野を独占したほか、国内の全資産の60%を掌握するなど、きわめてラテンアメリカ的な独裁者といわれた。
[後藤政子]
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…19世紀初頭ハイチの独立革命の際,一時スペインの統治下から離脱したことがある。1931年独裁者トルヒーヨが権力の座につくと,サント・ドミンゴ市からトルヒーヨ市に改称されたが,61年の彼の暗殺後,元の名に復帰した。【神代 修】。…
… 20世紀に入ると,ドミニカ共和国を資本・商品輸出市場とするアメリカが権益を保護する口実で1916年に海兵隊を派遣し,その占領が24年まで続いた。そして30年から61年まで,アメリカ海兵隊の支援を得たトルヒーヨ大統領の独裁体制が敷かれた。同大統領が暗殺されると62年に30年ぶりに大統領選挙が行われ,ドミニカ革命党のフアン・ボシュが選出されたが,1年足らずで軍事クーデタで倒された。…
※「トルヒーヨ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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