ナーイドゥ(読み)なーいどぅ(英語表記)Sarojinī Nāydu

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナーイドゥ」の意味・わかりやすい解説

ナーイドゥ
なーいどぅ
Sarojinī Nāydu
(1879―1949)

インド政治家詩人ベンガルブラフマンの出で、ハイデラバード藩王国内のカレッジ校長を父とする。マドラス大学卒業後、イギリスで学んだ。1898年、非ブラフマンのナーイドゥと結婚。帰国後国民会議派の活動に加わり、イギリスの女性運動家ベザントらの自治要求運動や、ヒンドゥームスリムイスラム教徒)の統合のため努力。同時に女性運動にも参加。1919年のガンディーの非暴力的抵抗(サティヤーグラハ)闘争以後は一貫して彼の重要な補佐となった。1925年の国民会議派カーンプル大会でインド人女性として初の議長となる。独立後は1947~1949年、連合州知事を務めた。「インドのナイチンゲール」と称され、すぐれた英語詩で知られる。

内藤雅雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「ナーイドゥ」の意味・わかりやすい解説

ナーイドゥ
Sarojinī Nāidu
生没年:1879-1949

インドの女流詩人,政治家。父はベンガル人で,ある藩王国のカレッジ校長をつとめた。マドラス大学卒業後,ロンドンケンブリッジに学ぶ。1898年非バラモン・カーストのM.G.ナーイドゥと結婚。第1次大戦ころからベサント夫人らの自治運動,婦人運動,ヒンドゥー・ムスリム統合の動きに積極的に参加。1919年のガンディー指導の非暴力抵抗闘争以後,彼の最も信頼厚い補佐役となる。25年の国民会議派カーンプル大会で初のインド人女性議長。通算3回投獄された。インド独立後47-49年,連合州(現,ウッタル・プラデーシュ)の知事をつとめた。その英語詩はインドでよく知られ,〈インドのナイチンゲール〉と称される。
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百科事典マイペディア 「ナーイドゥ」の意味・わかりやすい解説

ナーイドゥ

インドの女性詩人,社会運動家,政治家。多くの英語詩集発表国民会議派に参加し,会議派最初の女性議長を務めたほか,女性解放運動にも活躍した。詩集《金色入口》《時の鳥》《折れた翼》など。

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