翻訳|New Orleans
アメリカ合衆国ルイジアナ州南東部,ミシシッピ川の河口近くに位置する港市。市街地は標高5m以下の低湿地であるが,アメリカ第1の大河とメキシコ湾の接点にあって交通の中心地として栄え,現在でも合衆国第2の貿易港,ルイジアナ州最大の都市で,人口45万4863(2005)。
ニューオーリンズは過去7回さまざまな国に属してきた。1718年,フランス人によって建設され,植民のパトロンでもあったオルレアン公の名をとって,フランス語でヌーベル・オルレアンNouvelle Orléansと命名された。22年,フランス領ルイジアナ(現在のルイジアナ州ではなく,ミシシッピ川とその全支流の流域からなる広大な地域)の主都になった。フランスがイギリスとの植民地戦争で敗れた62年,ミシシッピ川の西のルイジアナとともにスペインに譲渡されたが,1800年にはふたたびフランス領に戻った。この間,植民者たちは周辺に広大な農園(プランテーション)を開き,奴隷労働をもとにして発展,ニューオーリンズに富を集め,この地にフランス系とスペイン系の混交する〈クレオール〉文化を育てた。
1803年,ジェファソン大統領のルイジアナ購入によって,ニューオーリンズはアメリカ合衆国の領土になった。市民の多くは,むしろ悲しみをもってこの事態を迎えた。しかし同市は,12年から49年まで(1830年を除いて)新しいルイジアナ州の州都となり,米,砂糖,綿花などの生産や蒸気船による交通の発達などを背景にして,商業都市として繁栄の一途をたどり,アメリカ人も進出し,西インド諸島からは〈自由黒人〉も移住してきて,アメリカ第2の港市となった。アメリカ最大の黒人奴隷市場にもなったが,〈南部の女王都市Queen City of the South〉などと呼ばれた。
61年,南北戦争が勃発すると,ルイジアナ州は合衆国から分離して独立共和国となり,6週間後にアメリカ南部連合に入った。しかしニューオーリンズは合衆国軍に占領され,戦後は南部の疲弊と鉄道の発達によるミシシッピ川交通の衰退などが,この都市の黄金時代を過去のものにした。だが20世紀になると,石油や天然ガスの発見,砂糖や綿花貿易の再興,造船その他の工業の発達,航空宇宙産業の進展などがあり,それに排水設備なども整備されて,ニューオーリンズをまた繁栄させてきている。
しかし今日,ニューオーリンズがアメリカだけでなく世界の注目をひくのは,そこに育った文化のユニークさであろう。この都市の地理的位置と国際的に入り組んだ発達が,それを可能にした。フランス人がはじめてここを建設したときの市街である〈フレンチ・クオーターFrench Quarter〉(別名〈旧区域Vieux Carré〉)が,歴史的にも文化的にも,この市の中心をなしてきた。14ブロック×6ブロックの小区域にすぎないが,ここに花開いたクレオール文化は,南欧的な優美さをただよわせた。いまでも,フランス風の入念なレース模様のバルコニーを張り出した家がたち並び,その間にかつてラフカディオ・ハーンが〈小さなパラダイス〉と呼んだスペイン風の中庭が開けている。外見は地味だが中は豪華なレストランに入れば,メキシコ湾でとれる豊かな魚介を用いたクレオール料理が,味覚をたんのうさせる。
ルイジアナがアメリカ領になっても,クレオールたちは新参者のアメリカ人をこのフレンチ・クオーターから締め出した。そこで後者は,この外,南側に〈ガーデン・ディストリクト〉と呼ばれるようになる彼ら自身の居住区をつくった。それは狭いフレンチ・クオーターと違って広々と開けた区域で,美しい庭の中に〈ギリシア復興〉式の家が品良く建ち,いまでもニューオーリンズの最も高級な住宅地となっている。フレンチ・クオーターの北側の外には,19世紀の初期からアイルランド系やドイツ系の移民が住み,後には黒人も住むようになっていった。スラム化した部分も多く,テネシー・ウィリアムズの《欲望という名の電車》(1947)の舞台もこの地区になっている。これら三つの地区とその住民は激しく対立しながら,ニューオーリンズは発展してきた。
ニューオーリンズは,この複雑な構成の中から独特の文化をつくり出してきた。ここは一面で〈詩と芸術の都〉となった。19世紀の中ごろにはフランス・オペラもアメリカ演劇も見られ,G.W.ケーブルやラフカディオ・ハーン以下,さまざまな作家がここに住んだ。だが反面,ここはほとんど伝説的な〈悪徳の市〉にもなった。〈クオドルーン・ボウルquadroon bowl(混血女の舞踏会)〉は,農園主や商人などの紳士に囲い女を選ばせる場であった。船乗りたちもここに歓楽を求め,ギャンブルや売春は横行し,1897年から20年間,〈ストーリービルStoryville〉は全米に悪名とどろく公認売春区域となった。しかもこの売春街が,初期のジャズを育てた。
ニューオーリンズには,西インド諸島から黒人が伝えたアフリカ生れのブードゥーという呪術信仰も,無知な庶民の間でひろまっていた。だが同時にここはカトリックの都で,マルディ・グラMardi Gras(謝肉祭)は市をあげての行事となっている。現在のニューオーリンズは,全体として近代的な秩序ある商業と産業の都市である。しかし,ピューリタン的でデモクラティックなアメリカの中にあって,この市の文化は貴族的優美さへのあこがれと人間の自然な欲求とを多彩にあらわしてきており,その点で観光客のメッカとしてもアメリカで有数の都市であり続けている。
執筆者:亀井 俊介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカ合衆国、ルイジアナ州南東部の河港都市。人口48万4674(2000)。大都市圏人口133万7726(2000)。ミシシッピ川の河口から約170キロメートル上流に位置する。ポンチャトレーン湖とミシシッピ川の蛇行部分の間に市街地が広がっているため、クレセント都市(三日月都市)とよばれる。また、ミシシッピ川を渡る大きな橋が2本あり、ポンチャトレーン湖には全長39キロメートルの橋が架かっている。市街地の大部分が海抜0メートル以下のゼロメートル地帯のため、2005年8月末に大型ハリケーン「カトリーナ」が上陸した際には、運河の堤防が決壊し市街地の約8割が冠水するなど甚大な被害を受けた。
ニュー・オーリンズは州最大の都市で、ニューヨークに次いで全米2位の貿易高の港をもつ。主要輸入品ではコーヒー、砂糖、バナナ、主要輸出品では石油、石油化学製品、穀物、綿花、硫黄(いおう)、木材などがある。周辺の豊かな天然資源と農畜水産業に支えられて多様な工業が発達しており、精油、石油化学、造船をはじめ、原料のボーキサイトを南アメリカから輸入するアルミニウム精錬などが盛んである。メキシコ湾ではエビ、カキなどの海産物も多いので、それらの加工業も主要な産業である。古い市街地の中にあるフレンチ・クォーターにはジャクソン広場、1794年創立のセントルイス寺院や有名レストランなど、18~19世紀の建物があり、フランス領時代のおもかげが残っている。ジャズ発祥の地としても有名で、バーボン街付近には多くのジャズ・ホールやバーがある。
[菅野峰明]
1718年、フランスの北米大陸進出の戦略的交易拠点として開設され、1722年には仏領ルイジアナの首都となる。1762年スペインに割譲されるが、合衆国による「ルイジアナ購入」の直前にふたたびフランスに返還された。1818年ルイジアナの首都とされる(ただし1849年まで)。ジャクソンによる「ニュー・オーリンズの戦い」(1815)の勝利後、ミシシッピ渓谷全域の金融と通商の中心として急速に発展し、人口も激増する。南北戦争前のニュー・オーリンズはフランス、スペイン支配時代の遺制を色濃く残し、波止場の喧騒(けんそう)とクレオール(植民地生まれのヨーロッパ人)や黒人のフォークロアや音楽、洗練されたフランス・オペラと賭博(とばく)や街娼(がいしょう)、いわば退廃とエレガンスが分かちがたく混じり合ったヨーロッパ的国際都市であった。しかし南北戦争とともにその黄金時代は終わり、鉄道網の発達と北部を中心とする全合衆国的規模での産業および通商構造の再編過程の進展によって、ニュー・オーリンズはしだいにその主要な役割を終え、単なる歴史的都市の一つとして忘れられていく。しかし20世紀に入り、周辺地域での石油の発見とサトウキビ、綿花生産の発展により、ふたたび繁栄を取り戻した。
[長田豊臣]
『風呂本惇子編著『アメリカ文学とニューオーリンズ』(2001・鷹書房弓プレス)』
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ミシシッピ川の河口近くに位置し,19世紀前半には広大な流域の産物を集めてアメリカ第2の商港として栄えた。スペイン領,フランス領時代の面影を残す特色ある都会である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…スペインは65年セント・オーガスティン湾に砦を建ててこれをけん制し,撤退させることに成功した。しかしフランス人は,その後もミシシッピ川を下ってテキサス湾岸に砦を築き,1718年にはニューオーリンズを建設した。スペインは,このルイジアナ植民地を制圧するため同じ18年にテキサスのサン・アントニオを建設したが,七年戦争の結果,63年のパリ条約においてミシシッピ以西のルイジアナの地とニューオーリンズの領有を認められた。…
…20世紀初め,アメリカ南部の港町ニューオーリンズの黒人ブラスバンドから生まれた音楽。1920年代を通じて,シカゴ,カンザス・シティ,またニューヨークなどの北部諸都市に伝播し,30年代後半にはスウィング・ミュージックと呼ばれて世界に広まった。…
※「ニューオーリンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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