ニュー・オーリンズ(読み)にゅーおーりんず(英語表記)New Orleans

翻訳|New Orleans

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニュー・オーリンズ」の意味・わかりやすい解説

ニュー・オーリンズ
にゅーおーりんず
New Orleans

アメリカ合衆国ルイジアナ州南東部の河港都市。人口48万4674(2000)。大都市圏人口133万7726(2000)。ミシシッピ川河口から約170キロメートル上流に位置する。ポンチャトレーン湖とミシシッピ川の蛇行部分の間に市街地が広がっているため、クレセント都市(三日月都市)とよばれる。また、ミシシッピ川を渡る大きな橋が2本あり、ポンチャトレーン湖には全長39キロメートルの橋が架かっている。市街地の大部分が海抜0メートル以下のゼロメートル地帯のため、2005年8月末に大型ハリケーンカトリーナ」が上陸した際には、運河の堤防が決壊し市街地の約8割が冠水するなど甚大な被害を受けた。

 ニュー・オーリンズは州最大の都市で、ニューヨークに次いで全米2位の貿易高の港をもつ。主要輸入品ではコーヒー、砂糖、バナナ、主要輸出品では石油、石油化学製品、穀物綿花硫黄(いおう)、木材などがある。周辺の豊かな天然資源と農畜水産業に支えられて多様な工業が発達しており、精油、石油化学、造船をはじめ、原料のボーキサイトを南アメリカから輸入するアルミニウム精錬などが盛んである。メキシコ湾ではエビ、カキなどの海産物も多いので、それらの加工業も主要な産業である。古い市街地の中にあるフレンチクォーターにはジャクソン広場、1794年創立のセントルイス寺院や有名レストランなど、18~19世紀の建物があり、フランス領時代のおもかげが残っている。ジャズ発祥の地としても有名で、バーボン街付近には多くのジャズ・ホールやバーがある。

[菅野峰明]

歴史

1718年、フランスの北米大陸進出の戦略的交易拠点として開設され、1722年には仏領ルイジアナの首都となる。1762年スペインに割譲されるが、合衆国による「ルイジアナ購入」の直前にふたたびフランスに返還された。1818年ルイジアナの首都とされる(ただし1849年まで)。ジャクソンによる「ニュー・オーリンズの戦い」(1815)の勝利後、ミシシッピ渓谷全域の金融と通商の中心として急速に発展し、人口も激増する。南北戦争前のニュー・オーリンズはフランス、スペイン支配時代の遺制を色濃く残し、波止場の喧騒(けんそう)とクレオール(植民地生まれのヨーロッパ人)や黒人のフォークロアや音楽、洗練されたフランス・オペラと賭博(とばく)や街娼(がいしょう)、いわば退廃とエレガンスが分かちがたく混じり合ったヨーロッパ的国際都市であった。しかし南北戦争とともにその黄金時代は終わり、鉄道網の発達と北部を中心とする全合衆国的規模での産業および通商構造の再編過程の進展によって、ニュー・オーリンズはしだいにその主要な役割を終え、単なる歴史的都市の一つとして忘れられていく。しかし20世紀に入り、周辺地域での石油の発見とサトウキビ、綿花生産の発展により、ふたたび繁栄を取り戻した。

[長田豊臣]

『風呂本惇子編著『アメリカ文学とニューオーリンズ』(2001・鷹書房弓プレス)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニュー・オーリンズ」の意味・わかりやすい解説

ニューオーリンズ
New Orleans

アメリカ合衆国,ルイジアナ州の都市。ミシシッピ川の河口から約 180km上流の北岸に位置する。気候は温暖だが,地面が川の高水位より低く洪水やハリケーンの被害をしばしば受ける。 1718年頃フランスのルイジアナ総督によって創建され,22年には同植民地の首都,1803年のルイジアナ買収で合衆国領になり,05年市制。 14~15年にはアメリカ=イギリス戦争の決戦場になった。ミシシッピ川の河川交通の終点として栄え,鉄道の開通により交通の要衝としての機能が強化された。綿花,綿実油,米の最大取引地,バナナ,コーヒーの主要輸入港,穀物の主要輸出港。食品加工,衣料,石油化学などの工業も盛ん。クレオル (混血フランス人) 文化の中心であり,ブルース,ジャズの発生地でもある。市内住民の 50%は黒人が占め,南部の諸都市に比べ黒人の地位が高い。マルディグラ,ジャズフェスティバルなどは有名。美術館,ディキシーランドホール,コンベンションセンター,シュガーボウル・スタジアム,スーパードーム,国際空港,ロヨラ大学などがあり,多くの石油会社本社が立地する。人口 34万3829(2010)。

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